3月28日、ミャンマー中部で起きたマグニチュード7.7の大地震について、現地で実権を握る軍は、これまでに3700人以上が死亡し、住宅6万棟が倒壊するなどの被害を受けたとしています。
地震の発生から1か月となりますが、被災地では、依然、食料や医薬品などが十分に行き渡らないなか、多くの人たちが屋外で不自由な避難生活を余儀なくされています。
このうち、第2の都市マンダレーの広場でテント生活を続けている64歳の男性は「夜になると再び地震が起きるかもしれないという恐怖から家の中では眠れない状態です。今は寄付された食料で生き延びていますが、それが尽きたら、この先どうやって生きていけばいいのかわかりません」と話していました。
一方、震源に近い北西部ザガイン管区では今も電気や水道が使えない地域も多くあり、現地で人道支援を続ける団体によりますと、医療機関では患者の受け入れが困難な状況が続いているということです。
また、被災地では倒壊した建物のがれきの撤去も進まず、復興にはほど遠い状況で、住民の生活再建に向けた継続的な支援が求められています。
「戦闘」と「地震」二重の被害に苦しむ人も
ミャンマーでは、4年前のクーデター以降、軍と民主派勢力側との間で激しい戦闘が続いています。
戦禍を逃れて故郷を追われた国内避難民は350万人以上にのぼっていて、なかには今回の大地震で被災したことで「戦闘」と「地震」の二重の被害に苦しむ人も少なくありません。
大きな被害を受けた第2の都市マンダレーで被災したボーミンさん(27)もその1人です。
半年前、戦闘が激化していた北部カチン州から着の身着のまま逃れ、トラックのドライバーの仕事で生計を立てながら妻と1歳6か月になる息子と暮らしていました。
仕事も軌道にのり、蓄えた資金で新しい家に引っ越そうとしていたやさきに地震に襲われ、最愛の妻と子どもを亡くし、仕事も失いました。
大地震を受けて、軍と民主派勢力側の双方は救援活動を優先させるためとして戦闘の一時停止を表明しましたが、故郷のカチン州では、地震のあとも軍による空爆が行われるなど戦闘が続いているということで、停戦は形骸化しているとみられています。
ボーミンさんは戦闘が収まれば、家族とともに故郷で再び暮らしたいと願っていましたが、地震によってその夢もついえたといいます。
今はなんとか生活を立て直そうと友人の家に身を寄せ職探しを続けていますが、仕事をみつけるのは容易ではなく、夜も眠れない日々が続いているということです。
ただ、まわりには同じような境遇に置かれた人も多くいて、互いに助け合いながら前に進んでいきたいと考えています。
ボーミンさんは「悲しみは消えませんが、私よりもつらい状況にあり、苦しんでいる人もいます。ただ座って何もしないわけにはいかず、助け合いながらいつか安心して生活できる日が来ることを願っています」と話していました。
現地派遣の看護師 息の長い支援の必要性訴える
大地震を受けて、医療支援活動のため、現地に派遣されている日本赤十字社医療センターの看護師の苫米地則子さんがNHKのオンラインインタビューに応じました。
苫米地さんは、今月中旬から現地の医療チームに同行し、今回の地震で大きな被害を受けたミャンマー第2の都市マンダレーのほか、ザガインなどで活動しています。
インタビューのなかで、苫米地さんは「地震でけがをした患者は減ってきている印象だが、被災地では建物が倒壊した状況がそのまま残っている。住民たちのなかには余震を恐れてテント暮らしを続ける人もいると聞いた」と話し、地震から1か月がたってもインフラの復旧には時間がかかるとの見方を示しました。
また、まもなく雨季を迎えるなか、感染症への懸念が高まっているとして、衛生環境の改善とあわせて住民に対する注意喚起も急務だとしています。
一方、各国から被災地に支援に入った救援隊も撤収が進んでいるとしたうえで、苫米地さんは「1か月がたったことで節目のような気はするが、被災者にとっては、1か月だろうと2か月だろうと関係なく、自分の生活を取り戻していくための日々が続く。多くの人たちにミャンマーへの関心を持ち続けてほしい」と話し、息の長い支援の必要性を訴えました。
【衛星画像から分析】ザガインの被害状況
ミャンマー大地震の被災地のうち、4年前のクーデター以降、軍と民主派勢力側との戦闘が続いている北西部のザガイン管区では、震源に近いものの、地震後も軍による空爆が断続的に行われ、地震による被害の全容は明らかになっていません。
NHKではこのうち震源に近い町、ザガインの被害の状況を衛星画像を元に分析しました。
地震から3週間ほどたった今月19日に撮影されたザガインの市街地の画像からは建物などが損壊したとみられる場所が3キロ四方の範囲だけでも、100か所以上確認でき、被害の大きさがうかがえます。
このうち、市街地北西部に大きな細長い建物が立ち並ぶ場所では、建物が屋根ごと崩れ落ち、がれきが散乱したままとなっています。
一方、地震後にさら地になったところも点在していて、地震で損壊した建物のがれきの撤去も一部で始まっていることが確認できます。
さらに、地震の前は空き地だった場所には、白や青、緑のテントのようなものが整然と並んでいて、今も多くの人が避難生活を余儀なくされているとみられます。
イラワジ川を挟んでミャンマー第二の都市、マンダレーの対岸に位置する川岸では、大型トラックを載せた台船が接岸している様子も確認でき、地震で崩落するなどした橋の代わりに、台船を使って物資の輸送ルートを確保しているとみられます。
ただ、ザガイン管区では、地震後も軍による空爆が断続的に行われ、支援物資の供給にも影響を及ぼすおそれがあると国連などが懸念を表明しています。