30日にガイドをしたのは、「NPO法人那覇市街角ガイド」のメンバーで、地元、首里出身の82歳の慶佐次興和さんです。
慶佐次さんは観光客など10人を城郭の周辺に案内し、琉球王国の歴史などについて話したあと、焼け跡が見える場所に移動して当時、みずから目撃した状況を説明しました。
この中で慶佐次さんは「火災の日、自宅から北殿や南殿でものすごい炎が上がっているのが見えました。それからきょうで1か月です。首里の象徴的な建物なので1日も早く復元してほしいと思っています」などと訴えていました。
沖縄県の西原町から来た観光客の男性は、「焼け跡をみて、早く復元できればいいなと思いました」と話していました。
慶佐次さんは、「火災後、観光客は急激に減っています。焼けてしまった首里城を見ると悲しい気分になります。早く復元してほしいです」と話していました。
復元当時の現場責任者「広い観点の取り組み必要」
首里城の再建について、平成の時代に復元に関わった当時の現場責任者は、再建に関わる人材や技術の育成に、行政や業界全体で取り組む必要があると指摘しています。
加藤真司さん(61歳)は、当時の沖縄開発庁の職員として首里城復元の現場責任者を務めました。
首里城再建の課題の1つとして、復元当時の職人がいないため、正殿の赤瓦を再現できないとされていることについて、加藤さんは、「当時の工法で瓦を焼ける職人がいなくても、工法がなくなったわけではない」としています。
そのうえで、「瓦業界や産業育成の問題で、単なる首里城の復元事業にとらわれず、広い観点の取り組みが必要ではないか」として、再建に関わる人材や技術の育成に行政や業界全体で取り組む必要があると指摘しています。
また、課題とされているヒノキなどの木材の確保については、「昔はそれほど木を選ぶ余裕もなかったので、使える木を使っていた。時代考証上はヒノキにこだわる必要はない」としています。
加藤さんは、今後の再建の進め方について、「沖縄の深くて幅広い歴史を一番具現化しているのが首里城で、無理に急ぐことなく、復元の意義を県民や国民が議論する場があってもいいと思う」と話しています。