延べ24年間、首相を務めたマハティール氏は日本の技術や勤労精神などに学ぶ「ルックイースト政策」を掲げてマレーシアの経済成長を実現させ、98歳となった今も積極的に発信を続けています。
インタビューの中でマハティール氏は、日本がマレーシアから2万6000人以上の留学生や研修生を受け入れてきたことや、日本の経済協力や投資がASEAN各国の発展に貢献してきたことを高く評価しました。
そのうえで、中国や韓国の企業の進出が強まり日本の経済的な影響力が相対的に低下しつつある現状について「日本は各国との競争がなかった頃と、もはや違うという現実を受け入れなければならない。ただ日本の製品の品質はいまも全世界で認められており、日本は自信を失うべきでない」と述べて、巨大市場となった東南アジアで日本は競争力を維持していけると指摘しました。
また、外交に関しては「ASEAN各国はアメリカと中国の対立でどちらかにつくことはしない。両国とも良い関係を維持したい」と述べたうえで「アメリカは中国との対立を望んでいるかにみえるが、それが東南アジア、特に南シナ海で緊張を増すことにつながっている。われわれは日本がアメリカに近づき過ぎないように望んでいる」と述べて、日本は米中とは一線を画した独自の外交政策を展開するべきだと訴えました。
そして、ASEANを含むグローバル・サウスの台頭については「かつては東と西、今は北と南の対立だが、そのような分断はあってはならない。私たちは北と南の良好な関係を築くべきだ」と述べ、先進国と新興国・途上国の分断の解消が必要だという考えを示しました。
日本とASEAN 50年の経済関係
この50年間、日本とASEANは、緊密な経済関係を築いてきました。
両者の経済対話が始まったのは50年前の1973年。
当時、天然ゴムの輸出国が多かったASEAN各国が、日本による合成ゴムの輸出を強める動きに反発したことがきっかけでした。
この問題の解決に向けて日本とASEANがフォーラムを設置して対話を進めたことが、50年に及ぶ経済協力へとつながりました。
1985年のプラザ合意以降には円高への対応策として、自動車や電気製品を中心とする日本のメーカーが労働力の豊富なASEANに進出する動きが加速し、現地生産を行う体制がつくられました。
日本のODA=政府開発援助によるインフラ整備に加えて、こうした日本メーカーの技術移転などがASEANの経済成長を後押ししました。
現在ではASEANの人口は、6億7000万人余りで、人口構成も若く、高い経済成長を続けていることから「世界の成長センター」とも呼ばれています。
去年のASEAN域内の総生産=GDPは、3兆6000億ドルにのぼり、2030年ごろには日本を追い抜くとの見方もあります。
一方、ASEAN各国ではこのところ経済面でも中国の存在感が強まっています。
ASEANの去年の貿易総額を相手国別に見ると、日本が7%にとどまっているのに対して、中国はこの10年で貿易額を急速に伸ばし、18%を占めるようになりました。
また、日本の牙城と呼ばれてきた自動車産業でも中国の自動車メーカーがタイでEV=電気自動車の現地生産の計画を相次いで打ち出しています。
こうした動きを背景に、ことし1月から9月までの中国からタイへの直接投資は去年の同じ時期の2倍以上に増え、全体の4分の1を占めるまでになりました。
ASEANへの直接投資で日本は国別でアメリカに次ぐ2位を堅持していますが、気候変動対策やサプライチェーンの強じん化などの新たな課題に直面する中、ASEAN各国と対等なパートナーとしてさらに緊密な関係を築いていけるのかが問われています。