冷戦時代の1987年に調印されたINF全廃条約は、核軍縮の大きな流れをつくり出し、2600基以上の核ミサイルの廃棄と冷戦終結につながる緊張緩和をもたらしたと歴史的に高く評価されています。
しかし、アメリカは近年、ロシアが新たに開発した巡航ミサイルが条約違反にあたるとして廃棄を求め、これに反発するロシアとの溝が深まっていました。
アメリカは2日、ロシアに破棄を通告し、条約の規定では通告から半年後に条約が失効します。
これについて、ポンペイオ長官は「ロシアが半年以内に条約違反のミサイルを破壊しなければ、条約は失効する」と述べ、ロシア側に改めて対応を迫りました。
一方で、アメリカは今後、対抗措置として、条約で禁じられている地上発射型のミサイルの研究、開発に着手する構えもみせていて、ロシアが反発を強めることは確実です。
このまま条約が失効することになれば、30年余りにわたって、一定の歯止めの役割を果たしてきた核軍縮の枠組みが失われることになり、新たな軍拡競争につながるという懸念が高まっています。
トランプ大統領「交渉に応じる用意も」
アメリカのトランプ大統領は声明を発表し、「ロシアは条約で禁じられているミサイルシステムを開発、配備し、同盟国と駐留アメリカ軍に直接の脅威を及ぼしている。条約違反は長期間にわたっている」と主張しました。
そのうえで「アメリカはこれに対応する軍事的な措置に取り組みながら、ロシアが違法な行為で軍事的な利益を得られないよう、NATO加盟国やほかの同盟国と協力していく」としています。
一方で「アメリカは軍備管理の枠組みを守り、ロシアとの軍備管理の交渉にも応じる用意がある」として、ロシアがアメリカの求める条約違反のミサイルの廃棄に応じるなど歩み寄りをみせれば、交渉する考えを示しました。
ロシア外務省「証拠は何一つない」
ロシア外務省のザハロワ報道官は1日、国営テレビに出演し、「アメリカはロシアが条約に違反した証拠を何一つ示していない。衛星写真も盗聴の記録も、誰かの証言も何もない」と述べ、アメリカが求めるミサイルの廃棄には応じない姿勢を改めて示しました。
また、ロシア外務省は1日、声明を発表し「軍備管理や軍縮を破壊するアメリカのやり方にロシアは断固として反対する」として、全面的に争う姿勢を示しました。そのうえで「戦略的安定と世界の安全保障を強化するために、志を同じくする国々とは緊密に協力していく」として、条約の維持をのぞむ国々に連携を呼びかけました。
国連「溝埋めること望む」
国連のデュジャリック報道官は「当事者が条約の失効までの6か月の間に対話を通じて溝を埋めることを望む」と述べて、条約を存続させるため、米ロ双方に歩み寄りを求めました。
そのうえで、報道官は「世界の軍備管理においてINF全廃条約は極めて大切であり、軍備管理と軍縮は国連事務総長の政策のなかでも重要な位置を占めている」と強調しました。核軍縮をめぐっては、5年に1度のNPT=核不拡散防止条約の再検討会議が来年に予定されていて、国連としては大国間のせめぎ合いにより核軍縮の議論が停滞することを懸念しているとみられます。
NATO「ロシアが条約順守の行動とらず」
NATO=北大西洋条約機構の加盟国で組織する北大西洋理事会は1日、声明を発表し、アメリカの対応を支持しました。
このなかで「アメリカと同盟国は対話のドアを開いていたが、ロシアは違反を否定して、信頼に足る回答を拒み、条約順守に向けた行動を取らなかった」として、ロシアを非難しました。
一方で「ロシアがしかるべき行動を取るなら、われわれは建設的な関係を築くことを望む」として、条約が失効する半年後までの間に条約違反の状態を解消するようロシアに求めました。
ICAN「条約破棄は無責任」
おととし、ノーベル平和賞を受賞した国際NGO、ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンは「条約の破棄はヨーロッパと全世界を危機にさらし、新たな核軍拡競争につながる無責任な動きだ」として、トランプ政権の決定を非難する声明を出しました。
この中でICANのベアトリス・フィン事務局長は「トランプ大統領は新たな冷戦を始める号砲を鳴らした。世界はより危険な状況になりかねない。ヨーロッパの指導者たちは、INF全廃条約の破棄が安全保障上の脅威になると明確に訴え、核兵器禁止条約に加わることで、ヨーロッパから核兵器をなくすよう取り組むべきだ」とコメントしています。
米国内でも意見分かれる
INF全廃条約をめぐっては、アメリカ国内でも破棄と維持で意見が分かれています。
アメリカ国務省で条約の検証を担当したポーラ・デサッター元国務次官補は「長年にわたるロシアの条約違反は明白で、条約を守っているかの検証も困難だ」として、条約を破棄すべきだと主張しています。
さらに、ロシアだけでなく条約の対象となっていない中国による核ミサイルの増強に強い懸念を示したうえで、これまでの経験から「中国は軍備の制限や中国の活動を大きく制限する合意に関心を示さなかった」と述べ、今後も軍縮条約には積極的には参加しないという見方を示しています。
そのうえで、アメリカがINF全廃条約を破棄し、ロシアや中国に対抗する中距離核ミサイルの増強を図るべきだという指摘が出ていることについては、配備に時間を要するとしながらも、「アメリカや同盟国が、攻撃的な兵器を配備する可能性があれば、中国が兵器の制限に前向きになるかもしれない」と述べて、条約を破棄し、軍備強化の構えを見せることで、一定の効果が見込めるという見方を示しました。
一方、アメリカ政府で30年近く核軍縮交渉に関わり、INF全廃条約をめぐる旧ソビエト側との交渉にも関与したトーマス・グラム氏は「条約の目的は冷戦終結の舞台を整えるとともに、旧ソビエトによるヨーロッパでの中距離ミサイル配備を防ぐことだった」と述べ、条約がなくなれば、ロシアがヨーロッパ周辺にミサイルを配備し、緊張が高まるおそれがあると指摘しました。
また、今後、アメリカが中国に対抗して中距離核ミサイルの配備に踏み切る可能性については、「よい考えだとは思わない。アメリカには高性能のミサイルを搭載した潜水艦が十分にあるので、条約が禁じた地上発射型のミサイルは必要ない」と述べました。
さらにグラム氏は中国やインドなど、中距離核ミサイルを保有するほかの国々も対象にした多国間の軍縮条約が世界の安定につながるとして、実現を急ぐべきだという考えを示しました。
ロシアの専門家「軍拡競争に戻る」
米ロ関係を専門とするロシアの「高等経済学院欧州・国際研究センター」のススロフ副代表は、アメリカによる条約の破棄は新たな軍拡競争を招くと警鐘を鳴らしています。
ススロフ氏はNHKのインタビューに対し「アメリカが条約を破棄して中距離ミサイルの製造を開始すれば、当然、ロシアも製造することになる。アメリカだけが製造し、ロシアは製造しないという状況はありえない」と述べました。
そのうえで、アメリカはヨーロッパ諸国に、ロシアはヨーロッパに近い中央部に、それぞれ新たに製造したミサイルを配備し、「米ロは1980年代初頭のような核ミサイルの軍拡競争に戻る」という見通しを示しました。
さらにススロフ氏は米中関係にも言及し、「アメリカが中距離ミサイルをアジア太平洋地域に配備するようになれば、中国はこれに対抗し、アメリカ本土を攻撃できる戦略核ミサイルを増強するだろう」と述べ、軍拡競争が始まれば、これに中国も加わると分析しました。
一方、プーチン大統領が米ロ両国だけでなく、中国なども対象にミサイルの保有を制限する新たな条約の策定を呼びかけたことについては「中国の核戦力の中心は、中距離・短距離ミサイルであり、これが禁止されることになれば、中国には何も残らない。アメリカとの対立が深まるなか、中国が一方的な軍縮に応じるとは思えない」と述べ、実現の可能性は低いという見方を示しました。
そして「ロシアの安全保障政策の原則は『アメリカと均衡を保ち、中国にまさる』ことだ」と指摘したうえで、「ロシアは中国とアメリカの戦力に追いつくため、やはり戦略核ミサイルを増強するだろう。将来、この3か国による核兵器の軍拡競争が始まれば、もはや制御不能だ」と述べ、こうした事態を招きかねないアメリカによる条約の破棄に強い懸念を示しました。