
長野市は、この公園を主に利用してきた学童保育施設の子どもたちの新たな遊び場を確保するため、近くの小学校の校庭を使うプランなどを検討しているということで、今月中に計画案を取りまとめるとしています。
長野市公園緑地課の中込勝彦課長補佐は「安全を万全にして工事を進めていきたい」と話していました。
そもそもなぜ廃止になったのか、経緯を詳しくまとめました。
長野市中心部から車で10分ほど行った郊外の住宅街にあります。地元区長会の要望を受けた長野市が、平成16年に民有地を借りて整備した「遊園地」という扱いです。広さは1400平方メートルほど。
周辺のほかの公園よりも広く、児童センターにとっては離れた公園に行かせるよりも子どもたちを見守りやすく、安全に遊ばせられます。送り迎えの時間がバラバラな保護者にも対応しやすかったといいます。
区長会も「子どもが使わないのに管理できない」と回答。騒音を訴えた人も、もともと廃止を求めていたわけではありませんでしたが、市は管理者が見つからないなどとして2022年2月に廃止を決定しました。 一方、区長会以外の住民は10月まで経緯を知らされず、12月の報道後、公園存続を求める声が高まりました。長野市の公園が廃止というニュースは、12月に地元新聞が報じた、読者の声を受けて取材する枠での報道が発端でした。 公園存続を求める住民による署名活動が行われたり、公園の管理を担うという地元住民団体も設立されたりするなど、報道をきっかけに新たな動きが出るなか、2023年2月11日には、長野市が初めて住民説明会を実施。およそ270人の出席者からは存続を求める声が相次ぎました。
長野市が公園の存続を模索し、借地契約を延長できないか地権者と改めて交渉を始めたのは、2023年1月下旬。そして、2月下旬まで交渉したといいます。しかし、返還期限が迫っていて地権者がすでに業者と契約をした土地について、どう交渉が進められたのか明らかにされていません。 長野市は「早急に市長に報告するため、文書ではなく口頭で報告していた」としたうえで、今後、交渉経過についての公文書を作る方針を明らかにしました。 公園廃止を伝えた以上、地権者が土地を活用することは長野市も想定していたといいます。しかし、住民に説明する機会があったにもかかわらず、土地利用の計画が進んでいることを説明しませんでした。 そして先月1日の長野市議会で荻原市長が「地権者はすでに新たな土地利用を計画しており、これ以上、土地を借りることは断念せざるをえない。公園存続を選択肢として真剣に検討し、関係者とも調整してきたが、結果として存続を望んだ住民の期待に応えられなかったのは大変申し訳ない」と述べました。 そして、今月末までに遊具や樹木の撤去を行ったうえで公園を廃止するとしました。
住民は取材に対し「『地区の要望で設置された』と市は発表していますが、公園設置で大きな影響を受ける家の1つのわが家には、事前の説明がないまま設置されました。別の家は説明を受けていたようですが、なぜか私たちには一切説明がなく、今もその理由が分かりません。そんななかで、夜はサッカーの練習をしたり、花火をしたりする人がいて、騒音が出て生活環境が変わってしまいました」と話していました。 公園に隣接し、80人から100人の子どもが利用する児童センターに子どもを送り迎えに来る保護者の車のエンジン音も、住民を悩ませたといいます。
改善を訴えていた住民も、もともと廃止を求めていたわけではなかったとしたうえで 「区長会と長野市から公園をなくすことにしましたと報告を受けたんです。それで、『あなたは残したいですか』と聞かれ、『18年間うんざりの日々だったので、廃止でお願いします』と言っただけです」と話していました。
どんな公園だったのか
廃止までの経緯は
改善を訴えた住民は