私がプロ野球を知ったのは昭和四十一年(一九六六年)、小学校四年生のときでした。
我在小學四年級的時候,也就是昭和41年(1966年)認識了職業棒球。
当時福岡では巨人軍の公式戦が無かったため、巨人戦を見られるのは大リーグとの親善試合だけでした。
當時在福岡,並沒有舉辦讀賣巨人隊的正式比賽,只能看到巨人隊和美國大聯盟球隊之間的友誼賽。
その年は、ドジャースがやってきました。
試合は十一月十三日の日曜。
小倉球場(現北九州市民球場)が会場でした。
野球の試合を見るなら、テレビではなく生で見たい。
如果要看棒球的話,我希望不是在電視上,而是親自到現場觀戰。
車の無い時代、バスを乗り継いでやっとの事で手に入れたチケットです。
那個時候還沒有汽車,我多次換乘巴士,才終於買到車票。
運命の日がやってきました。
雨だったら最後…。
天気の移り変わりが一日早まり、当日は朝から土砂降りの雨。
それでも一縷の望みを持って球場まで出かけました。
球場に着いてもまだ雨は降っています。
ああ、無情。
試合は午後一時開始ですが、こんな土砂降りで見られるわけがない。
比賽預定在下午一點開始,但在這麼大的雨中,我們要怎麼觀看比賽呢?
今にして思えば、草野球ならともかくもプロ野球、それも国際試合なのですからサーカスの見物じゃあるまいし、雨の中を見せるはずがありません。
仔細想想,業餘棒球就算了,職業棒球,尤其是國際比賽,大家又不是去看馬戲團,怎麼可能在下雨的情況下舉行比賽呢?
チケット売り場の女性に父が尋ねました。
「今日はやはり中止でしょうか」彼女は「そうですね、雨が降り続くと、ちょっと難しいでしょうね」と言っていました。
宣伝カーが「本日の日米野球は雨のため中止となりました」と走り始め、人々も帰って行きました。
日本和美國的棒球比賽因為今天下雨而中止,宣傳車正在體育場周圍巡迴廣播這個消息。
しかし、私は入り口ゲートにしゃがみ込んで動けなかったのです。
母がなだめても、父がなだめても、それをものともせず居座り続け、父を困らせ続けたのでした。
無論媽媽和爸爸怎麼安撫我,我就是死都不肯離開,讓爸爸非常為難。
勿論、やがては帰るわけですが、父の手を引いて会場を一回りすることにもなりました。
當然,最終上還是得回去,不過我還是牽著父親的手繞著體育場走了一圈。
あれから五十五年。
父も母も他界してしまいましたが、今でもその日のチケットは引き出しに大切にしています。
雖然我的父母已經去世了,但那天的車票至今仍被我珍藏在抽屜裡。
幼い頃の思い出という枠組みにとどまらず、これからも永遠に忘れることのない大切な家族との思い出なのです。
那不僅僅是童年的回憶,更是我永遠不會忘記、永遠珍藏的家庭寶貴記憶。