決勝は予選を通過した12人が、それぞれ3回滑り、最も高い得点で順位が決まります。
2大会連続出場の冨田せな選手は1回目からエアで横に3回転する大技を決めて、86.00の高得点をマーク。
2回目ではさらに技の精度をあげて、88.25と得点を伸ばし、銅メダルを獲得しました。
スノーボード女子ハーフパイプで日本選手のメダル獲得は初めてです。
せな選手の妹、冨田るき選手も3回目にすべての技を成功させ、80.50を出して初出場ながら5位に入りました。
また、同じく初出場で予選を2位で通過した17歳の小野光希選手は、71.50の9位でした。
金メダルは前回に続く大会連覇となったアメリカのクロエ・キム選手、銀メダルはスペインのケラルト・カステリェト選手でした。
9日の予選のあと「どうしても恐怖心が頭をよぎった」と話した冨田選手。 2019年12月、この会場で行われたワールドカップの練習中に転倒して頭を打ち、その後、棄権しました。 「当時の状況を覚えていない」と振り返るほど強く打っていました。 医者からは3か月間の安静を指示され、何もできない日々が続きました。 シーズンまっただ中のけが。 ほかの日本代表選手が国際大会に出場し、次々に結果を残していく姿を見ていることしかできませんでした。 当時について「スノーボードのことを考えるのがしんどかった。やめることも考えた」と言う冨田選手は、相談した両親のことばをきっかけに世界を目指して続けることを決意しました。 両親からおくられた「今、競技をやめるのではなくて次のシーズンで大会に出てみてまわりとの差を感じてからやめたらいいんじゃない」ということば。 復帰後は恐怖心から泣きながら滑ることもありましたが「やるしかない」と耐えながら練習を積み重ねました。 急成長していた妹のるき選手の存在も刺激になり、姉妹で競いながら技術を高めてきました。 その結果、今シーズンは世界のトッププロが集まる大会「Xゲーム」で優勝するなど大きく成長しました。 迎えた決勝では恐怖心を克服し、次々に持ち味の高いエアを成功させて銅メダルを獲得しました。 忘れようとしても決して忘れることのできないつらい記憶の残る場所が10日、最高の場所に変わりました。
そして「オリンピックに出場するためにたくさんの方に支えてもらった。たくさんの感謝の気持ちを伝えられたらいいなと思う」と目に涙を浮かべていました。 また、5位入賞した妹のるき選手と姉妹でオリンピックに出場したことについては、「2人で一緒にずっとやってきて、この舞台で滑られたのでよかった」と話していました。
決勝の滑りについて、「1回目に予想外のところで転倒して動揺してしまい、2回目も転倒してしまった。『バックサイド900』は絶対にやりたかった技なので、3回目でできてよかった」と振り返りました。 また、姉のせな選手と出場した初めてのオリンピックについて、「姉が出場した4年前のピョンチャン大会を間近に見て自分も出たいと思い、まさか決勝に行けるとは思っていなくてうれしい。自分がやりたいことをやれたのでよかった」と話していました。
そのうえで、「本当に強い選手は予選からずっと強い。私も好調をキープできるようにもっと強くなりたい」と話し、次のオリンピックを見据えていました。
女子ハーフパイプの決勝は3回の滑走のうち、最も高い得点で順位を競います。
エアは通常、5回程度。エアの高さや難度、完成度などが採点されます。 技の難度、完成度、演技全体の技の多様性などを審判が採点します。 ジャッジは6人でスコアの最高点と最低点を除いた4人の点数の平均点が演技の点数となります。 決勝は3回滑走し、ベストスコアで順位が決まります。
世界で有名なファッションデザイナーのジョルジオ・アルマーニさんが亡くなりました。鬼門の会場で恐怖心を克服し銅メダル
冨田せな「1回目から技を決められたのがでかい」
冨田るき「納得いっていないから悔いがある」
小野光希「また4年後に頑張りたい」
2回目終了 冨田せなが3位(現地10:21)
1回目終え 冨田せなが2位(現地9:55ごろ)
<競技方法など>