第2次世界大戦中、
最も
過酷な
戦いのひとつと
言われた
旧日本軍の「インパール
作戦」の
犠牲者を
追悼する
式典がかつて
戦場となったインド
北東部で
行われました。
在第二次世界大战期间,被认为是最为严酷的战役之一的旧日本军“英帕ール作战”的牺牲者追悼仪式,在曾经成为战场的印度东北部举行了。
1944年、旧日本軍がイギリスの支配下にあったインド北東部の攻略を目指した「インパール作戦」では、日本兵が食糧や弾薬の補給がほとんどないなか、飢えやマラリアにも苦しみ、インド国内だけでも3万人が死亡しました。
1944年,日本旧军发起了旨在攻占当时处于英国统治下的印度东北部的“英帕尔作战”,在几乎没有粮食和弹药补给的情况下,日本士兵不仅忍受了饥饿和疟疾的折磨,仅在印度境内就有3万人死亡。
9日、小野啓一駐インド大使は、戦後80年の節目にあわせて現地を訪問し、インパール近郊にある慰霊碑に献花したあと、追悼式典で、「戦争はすべてを奪い、何も与えないということを決して忘れてはならない」と述べました。
9日,日本驻印度大使小野启一在战后80周年之际访问当地,在向位于因帕尔附近的慰灵碑献花后,于追悼仪式上表示:“我们绝不能忘记,战争夺走了一切,却什么也没有给予。”
現地には、日本の支援を受けて平和資料館が6年前に建設され、銃剣や水筒など、日本兵の遺留品のほか、戦闘に巻き込まれ犠牲になった住民らの名前や年齢も展示されています。
在当地,6年前在日本的援助下建成了一座和平资料馆,馆内不仅展示了刺刀、水壶等日本士兵遗留的物品,还展出了在战斗中遇难的居民的姓名和年龄。
当時、旧日本軍の攻撃で避難を余儀なくされ、戦後は慰霊碑の建設にかかわったゴウラモフン・シンさんは(95)「この地で兵士たちが激しく戦って命を落とした。
那时,由于旧日本军的攻击被迫撤离,战后参与修建慰灵碑的高拉莫汉·辛先生(95岁)表示:“在这片土地上,士兵们激烈战斗并失去了生命。”
しかし、いまは
敵味方なく
皆ともに
安らかに
眠っている」と
語り、
戦争の
悲惨さを
語り
継いで
いくことの
大切さを
訴えていました。
但是,现在无论敌我,大家都安息地一起长眠了”,他这样说道,并呼吁大家要继续传承战争的悲惨,强调了铭记战争悲剧的重要性。