脆弱性の適切な扱いとリーダーシップ:自己開示の限界と逆説
近年、組織内でのリーダーの脆弱性を強調する風潮が、過度な自己開示を道徳的義務のように感じさせるに至っているものの、そこには無視できない弊害も潜んでいる。
確かに、心理学研究の多くは、リーダーによる適切な開示がチームの信頼関係を醸成し、心理的安全性を高めるという考えを支持している。例えば、リーダーが誤りや不確実性を認め、それをチームと共有する行為は、弱さの露呈にはとどまらず、むしろ真の意味での道徳的強さの現れとすら言えるだろう。しかし、それが度を越すと、リーダーシップの本質を損なう危険性がある。
現代社会においては「脆弱性を受け入れること」が称賛されつつあるが、過度な自己開示はむしろ逆効果となることもある。
自己開示を奨励する傾向は、しばしば無差別で文脈に無知な形をとり、結果として自己参照的な告白の連鎖に陥りかねない。そのような自己開示は、しばしば不安や満たされない感情的ニーズ、さらには自己愛的傾向に起因するものであり、かえってチーム内の信頼を損ない、組織の機能不全を招く恐れすらある。
リーダーが自らの弱さや誤りを率直に認めることは、確かにチーム内の信頼構築に資する。しかし、その自己開示が度を越すと、周囲を困惑させ、リーダーとしての威厳や信頼性を損ないかねない。それは、ドラマ『The Office』のマイケル・スコットのように、無差別な自己開示によって他者に不必要な負担を強いることにもなりかねない。本来、リーダーシップとは、常に完全であることを装うのではなく、適切なタイミングで脆弱性を見せる——つまり「編集された本」としての自己を維持することにあるのだ。
心理学的な観点からも、過度な自己開示は、感情的な自己制御の欠如や自己愛的パーソナリティ特性と関連していることが示されている。例えば、オンライン上での「オーバーシェアリング」に関する研究によれば、自己開示の多さは必ずしも関係の質を高めるとは限らず、むしろ他者に対する配慮の欠如や共感力の低下と結び付けられていることが多い。したがって、リーダーに求められるのは、すべてを開示することではなく、いかにして適切な情報を適切なタイミングで共有するかという判断力にほかならない。
このような現象の背後には、しばしば自己愛的な動機が潜んでいることも否定できない。自己愛的傾向の強い人物は、他者の感情や都合を顧みずに自己の内面を開示する傾向があり、その結果としてチーム内の関係性や信頼構築を損なうリスクを高めている。自己愛は必ずしも健全な心理的特性ではなく、むしろ組織においては逆機能的に働くことが多い。
加えて、自己制御の欠如も過度な自己開示の一因となり得る。自己制御が低い人ほど、その場の衝動や感情に駆られてフィルターのない発言をしがちであり、それが組織内のコミュニケーションに混乱をもたらすことも少なくない。
したがって、リーダーには感情知能——すなわち自らの感情を適切にコントロールし、他者の反応を敏感に察知する能力——が求められる。
総じて、オーバーシェアリングは心理的健康や成熟した関係性の証しではなく、むしろ未成熟な感情的ニーズや調整されていない自己制御の表れと言える。
リーダーにとって最も重要なのは、何をどのように共有するかを見極める判断力であり、それは即ち「編集者としての自分」を常に意識することにほかならない。沈黙に引きこもることでも、感情的な露出主義に陥ることでもなく、必要に応じて適切に自己を開示する——それこそが、真に信頼されるリーダーの姿なのである。