アルバムの発売から、50年となる26日、ドラマーのリンゴ・スターさんが、ロンドンでNHKのインタビューに答えました。
この中でリンゴ・スターさんは、制作に入った頃の状況について「自分たちは変わり始め、バンドの中にあつれきがあった。それが最後となるのか、誰にもわからなかった」と述べ、当時4人のメンバーの間に溝ができつつあったことを明らかにしました。
その一方でアルバム作りでは、後半でいくつもの曲をつなげてメドレーに仕上げたことなどについて「マジックのようだった」と振り返り、「3人の友人と演奏するのをいつも愛していた」と語りました。
解散後ソロとして再出発したリンゴ・スターさんは、来月、20作目となるアルバム「ホワッツ・マイ・ネーム」を発表するなど、79歳となった今も精力的に音楽活動を続けています。
これについて「私にとって、演奏することは掛けがえのないことだ。だから、活動を続けていく」と変わらぬ熱意を語りました。
また自身の誕生日である7月7日には平和と愛を考えようと「ピース・アンド・ラブ」というイベントを全世界に呼びかけていて、日本を含む各国でコンサートなどが開かれています。
最後のアルバム 世界的な大ヒット
ビートルズのアルバム「アビイ・ロード」は、1969年9月26日にイギリスで発表されました。翌年解散したビートルズのメンバー4人が、バンドとしてレコーディングをした最後のアルバムで、発売後イギリスのアルバムチャートでは17週連続で1位、アメリカでも11週連続で1位を獲得し世界的な大ヒットとなりました。
ブルースやロック、ポップなど、さまざまなジャンルを取り入れた意欲作で、特にアルバムの後半で、トーンやテンポの違う曲を巧みにつなげたメドレーは高く評価されています。
ジャケットには、4人のメンバーが収録を行ったスタジオの近くの横断歩道を並んで渡る写真が使われ、この場所には今も世界中から多くの人たちが訪れ、同じスタイルで写真を撮影する姿が見られます。
今月27日には、アルバムの発売から50年となるのを記念して、未公開の音源も収録した記念盤が世界同時発売されます。
ビートルズサウンドの要
リンゴ・スターさん、本名リチャード・スターキーさんは、イギリスのリバプール生まれの79歳。
当初、別のバンドで活動していましたが、ビートルズがメジャーデビューする直前の1962年、ドラマーとして正式に加入しました。
代表的な曲を数々生み出したジョン・レノンさんやポール・マッカートニーさんが注目を集める一方で地味な存在ともみられがちですが、曲調によって全く違った表現で演奏する能力は高く評価されビートルズサウンドの要となりました。
ビートルズの解散後もミュージシャンとしてソロ活動を続け、来月には、20作目となるアルバムを発表する予定です。去年には、長年の功績が評価されて、「ナイト」の爵位が授与されました。
リンゴ・スターさんは、ビートルズの解散後も日本でツアーを行っていて、ことしは3月から4月にかけて、東北や九州など各地で公演しました。
横断歩道は世界的な観光スポット
ビートルズのアルバム「アビイ・ロード」が、イギリスで発売されてから、ちょうど50年となった26日、メンバー4人が並んで横断歩道を渡る、有名なジャケット写真が撮影されたロンドン北部の住宅街には、多くの観光客やファンが訪れました。
皆、4人の姿をまねて、横断歩道の上で記念撮影をするなど、世界的な観光スポットとなったこの場所を、思い思いに楽しんでいました。
中には、ロシアのシベリア地方からこの日のために列車と飛行機を乗り継いで来たという女性もいて「今、まさに、ここにいることがとても大切です。世界各地からファンが集まっていて、人々を一つにするのが、ビートルズの音楽の力だと思います」と、興奮した様子で話していました。
またアメリカから訪れた年配の夫婦は「この横断歩道を、彼らが歩いたように歩きたかったので来ました。ビートルズは、私たちの人生を通して大切な存在で、今後も、そうあり続けます」と話していました。
日本からのツアーの自由時間を利用して訪れたという70代の男性は、「学生の時にはコピーバンドで演奏するなど、ビートルズにはたくさんの思い出があります。ポール・マッカートニーやリンゴ・スターが日本でコンサートを行うときには、見に行っていますが、80歳近くになって2時間以上もぶっ通しで歌うのは大変だと思います。現役で、いつまでも頑張ってほしい」と話していました。