東京・両国の国技館で行われた大会には、およそ900人が出場し、宮城野親方が開会宣言を行ったあと、学年ごとに分かれて取組を行いました。
大会には新型コロナウイルスの影響もあって3年ぶりに海外の子どもたちも参加し、このうちロシアの軍事侵攻が続くウクライナから5人の子どもたちが出場しました。
10日に来日したウクライナの子どもたちは、軍事侵攻の長期化に伴ってふだんは集まって稽古を積むことができていないということですが、それでも土俵に上がると力強い相撲を見せていました。
このほか、まわしを締めた宮城野親方と子どもたちが相撲を取る企画もあり、親方を懸命に押し出そうとする子どもたちに会場から拍手が送られていました。
ウクライナから参加したマカロフ・セミョンくんは「最初は日本に来られるとは信じられなかった。一日中楽しかった」と話していました。
宮城野親方は「海外の子どもたちも参加して無事に大会を行うことができ、元に戻りつつあるのかなと思う。国技館の土俵に上がれた喜びと来てよかったという思いになって、ふるさとに帰ってもらいたい」と話していました。
佐藤くんは震災発生の9日前、2011年3月2日に生まれました。 佐藤くんの自宅は高台にあったため無事でしたが、町は津波で大きな被害を受けました。 震災の発生からおよそ3か月後、当時、力士会の会長を務めていた宮城野親方が山田町を慰問しました。 この時、佐藤くんが宮城野親方に抱きあげられている写真が残っています。 父親の佐藤哲也さんは「白鵬関が『だっこしてあげるよ』と話されたので、お願いしますと話しました。本当にうれしくて感動しました」と当時を振り返りました。 山田町はもともと相撲が盛んで、およそ800人が入ることができる相撲場があり、県大会や東北大会が開かれていました。 その相撲場は津波で全壊しましたが、震災の翌年、力士会の寄付で町内の高台に土俵が再建され、当時、横綱だった白鵬が落成式に参加しています。 佐藤くんは小学2年生から、相撲の指導者だった父親の哲也さんと二人三脚で稽古を始めました。 いまでは10人ほどと稽古を積み、今年度の県大会で学年別の個人戦で3位になるなど実力をつけてきました。 「白鵬杯」の前日、佐藤くんは宮城野部屋に招かれ、海外の選手などと一緒に稽古を積んで本番に臨みました。 本番では小学6年生の部に出場し、宮城野親方が見守る中、スピードを生かした攻めを見せましたが、惜しくも初戦で敗れました。 取組を終えて宮城野親方から「いい相撲を取りましたね」と声をかけられた佐藤くん。 「強い人はたくさんいるなと思った。宮城野親方の前で相撲を取れたのがよかった」と話しました。 父親の哲也さんは「土俵を寄付していただき、その恩返しが少しでもできたのかなと思う。勝てればよかったですが、全力は出しきったと思う。親としては褒めてやりたい」と明るく話しました。 宮城野親方は「力士会が寄付した土俵で育った子どもがこの大会に参加するのは不思議な感覚だった。感慨深いものがある」と話しました。
岩手県の被災地からも参加者