「可能なかぎり説明するのが私の責任」
安田純平さんは「私自身の行動によって日本政府が当事者にされてしまった点について大変申し訳ないと思っています。何が起こったのか可能なかぎり説明することが、私の責任であると思っています」と述べました。
取材目的は「生活を見るため」
安田純平さんは、シリアでの取材の目的について「シリア北西部のイドリブ県の反政府勢力の支配地域は、どういった生活をしているのか見たいと思っていました」と話しました。
シリア入りの手順「話が違うと思った」
安田さんは、シリアに入った経緯について「6月22日、シリアに入る案内をする人物から連絡が入ったといわれた。ガイドについては、自分は仕事があるので現地で兄が受け入れると。兄は司令官で、あなたの身元引受人だと。ガイドのいとこの人物が車で迎えにきているので合流するんだという説明だった」と述べました。
そのうえで、「トルコからシリアへの入り方は、国境地域は山岳地帯なので、深夜に闇に紛れて入る方法だった。彼とともにすぐに入ろうと思ったが、当時、トルコが国境を厳しく管理していて、入ろうとした場所は、多くのシリア人の出入りに利用されていた。関係者が出てくるのを待っていたら、案内人に、ここで待っていろと言われて2往復ほどやっていた。暗闇の中で待っていたが、彼が見に行っている間に、2人組がシリアに行こうと行ってきた。聞いている話が違うと思ったが、そういうものだろうと思って入ってしまった」と話しました。
拘束はシリア入り直後
安田さんは、武装勢力に拘束されたのは、シリアに徒歩で入った直後のことだったことを明らかにしました。
安田さんは、拘束された経緯について、「トルコ側から1時間ほど歩いてシリア国境に着くと、2人組の仲間に両腕を強くではないが捕まれて、車の後部座席に私が座り、彼らが前の座席に座り目隠しされずに移動した。数分で検問があり、アルカイダ系の組織のヌスラ戦線だった。荷物は奪われていない状況だった。6月22日の深夜に入り、23日の未明に入れられた。朝に関係者が来て荷物を置いておまえだけ来いと言われて車に乗せられた」と述べました。
そのうえで、「23日と24日の2日間は、何者であるか調べられた。25日の時点でスパイ容疑は晴れたようだが、監禁はとかれなかった。26日にまた移動し、目隠しされていないが、車に乗せられた。集合住宅の建物の地下に入れられた」と述べました。
日本政府に金を要求
安田さんは「7月下旬に日本政府に金を要求すると言われて、この時点で正式に人質となった。8月下旬に家族の名前など、個人情報を書けと言われて家族に対して申し訳ないなど簡単なメッセージを書いた。彼らはアメリカにある日本の領事館にメールを送ったと言っていた」と述べました。
「組織名は言われていない」
安田さんは、拘束されていた組織について「やはり知られることを避けたかったのかという印象があり、最後まで彼らの組織名というのは、基本的に言われていません」と述べました。