漫画家からツイッターに追悼の声

漫画家の村田雄介さんは「『藤子不二雄ランド』の単行本にはセル画がついていた。『アニメってこういうので作られてるのか』と初めて知った。漫画の素晴らしさはもちろんのこと、アニメの作り方にも同時に興味を抱かせてくれたことは僕にとって大きかった気がします。藤子A先生、ありがとうございました。合掌。」と、藤子さんの死を悼むメッセージを投稿しました。
中川さんは、数年前から藤子不二雄Aさんと実際に親交があったということで「作品は怖かったり、奇妙だったり、人間のブラックな部分も描かれていますが、ご本人は快活で明るく、あらゆることを楽しむ天才でした。新型コロナウイルスが流行する前には、よく一緒に飲みに行き、お酒を飲みながらコースターに喪黒福造の絵を描いてプレゼントしてくれました」と振り返りました。 そして「先月の先生の誕生日にも『しょこたんによろしく』と編集部の方を通じてご自身の写真を送ってくれて、とてもお元気そうでした。コロナが落ち着いたらまた飲みに行きたいなと思っていたので、あまりに突然すぎて、時が止まってしまったようなショックを受けています。先生のいない世界になるなんて信じられません」と死を悼みました。
トキワ荘を復元した「トキワ荘マンガミュージアム」では、7日、藤子さんの訃報を受けて、訪れた人から惜しむ声が聞かれました。 小学5年生の娘と訪れた40代の男性は「自分がちょうど娘の年くらいのときに初めて『まんが道』を読んだときに、すごく面白くて夢中になった記憶があるので、娘に読ませてみたら気に入ってくれたので、訪れました。きょう亡くなるとは思ってもみませんでした」と話していました。 40代の会社員の女性は「『笑ゥせぇるすまん』など社会を風刺した考えさせられる作品が印象的で、本当に残念です。レジェンドの先生が亡くなってしまうのはさみしいですが、これからも読み続けたい」と話していました。 豊島区文化商工部の熊谷崇之担当課長は「急な訃報に大変驚いています。藤子不二雄A先生の企画展も開催したいと考えていたところだったので、残念な気持ちでいっぱいです。先生が愛されたトキワ荘やその文化について今後も伝えていきたい」と話していました。 一方、以前、藤子さんが訪れていたトキワ荘の近くにある中華料理店「松葉」の店主の山本麗華さんは「訃報にびっくりしました。とても残念です。いつもラーメンとギョーザとビールを注文していて『貧しかった昔、すごく頑張って描いていた』と話していたのを覚えています」と話していました。
号外を受け取った75歳の女性は「ファンだったのでショックです。作品のキャラクターがかわいくて孫も好きだったので悲しいです」と話していました。 29歳の男性は「いくつかの作品を読んだことがあるので悲しいです。いい作品を作っていただき、ありがとうございますと伝えたいです。安らかにお眠り下さい」と話していました。 74歳の女性は「びっくりしました。昔は漫画やアニメは子どもが見るものとされていたのが、いまや日本の文化になりました。その先駆者だったと思います。県の誇りです」との声が聞かれました。
富山県高岡市の旧制高岡中学校で同じクラスだったという高田政公さん(88)は「びっくりしました。さみしい思いです。もう一度会いたかったです」と突然の死を悼みました。 ともに過ごした中学時代をふり返って「藤子さんは当時、斜め前の席に座っていました。黒板一面にチョークで絵を描いて、私たちからは喝采を受けていましたが、先生にはよく叱られていました。生真面目な性格でしたが、冗談を言うおもしろい人で、クラスの人気者でした」と懐かしんでいました。
市内には、決まった時刻になると人気作「忍者ハットリくん」のキャラクターたちが現れて次々と水鉄砲を披露するからくり時計があり、子どもたちに人気です。 またJR氷見駅からおよそ1.8キロにわたって通称“まんがロード”が整備され、人気キャラクターのモニュメントや絵などの作品が彩りを添えています。 藤子さんの訃報を受けて、市民からは悼む声が聞かれました。 石川県から氷見市の実家に帰省中の30代の女性は「子どもが『怪物くん』の歌が好きで、よく歌ったり、モニュメントと一緒に写真を撮ったりしています。多くのすてきな作品を作ってくれてありがとうと伝えたいです」と話していました。 市内の80代の女性は「訃報を聞いて驚きました。まちの発展にも関わってもらって、私たち市民の誇りです。ありがとうございました」と話していました。 商店街でソフトクリーム店を営む女性は「藤子さんは、ここのソフトクリームを食べるのが楽しみだと言ってくれていたそうで、うれしかったです。モニュメントはずっと残るので、いつまでも氷見市を見守ってもらいたいです」と話していました。
40代の女性は「数か月前、自宅でタクシーを待っているのを見ましたが、元気そうに見えました。夫が大ファンです。ニュースで亡くなったと聞き、驚いてことばが出ないです」と話していました。 50代の女性は「先生の作品で育ってきて、子どもも大好きだったので、残念です。これからも作品は受け継がれると思います」と話していました。
ファンで親交あった中川翔子さん 「突然すぎてショック」
若き日を過ごした「トキワ荘」でも惜しむ声 東京 豊島区
出身地の富山 号外配られる
中学時代の同級生「クラスの人気者でした」
出身地の富山 氷見市でも悼む声
川崎 自宅の近所の住民「作品は受け継がれる」
松野官房長官「世代超えて愛されるすぐれた作品を生み出された」