新井選手は広島市出身の41歳。
平成11年にドラフト6位で広島に入団しました。
長打力が持ち味で、7年目の平成17年には43本のホームランを打って、初めてのタイトルとなるホームラン王に輝きました。
その後、平成19年のオフにFA=フリーエージェントを宣言して阪神に移籍し、7年間プレーし、平成23年には打点王のタイトルを獲得しました。
その後、広島に復帰し、おととし、史上47人目となる通算2000本安打を達成。
この年は、大リーグから復帰した黒田博樹投手とともにチームを引っ張って、25年ぶりのセ・リーグ優勝に導き、MVP=最優秀選手にも輝きました。
しかし今シーズンは、若手の活躍もあって代打での出場が目立ち、ここまで49試合の出場にとどまり、打率2割2分2厘、ホームラン4本の成績でした。
新井選手は引退を決意した理由について「若手がすごく力をつけてきていますし、これからの2年後3年後、5年後のカープのことを考えた時に、ことしがいいのではないかと考えました」と話しました。
そのうえで「広島に戻ってきて4年間もやらせてもらい、優勝もさせてもらって、本当に周りの方に感謝の気持ちしかない。最後は日本一になって、みんなとうれし涙で終われたら最高だと思うので、最後の最後まで全力で頑張りたい」と述べて、チームのリーグ3連覇、そしてその先のポストシーズンの戦いへの意気込みを示しました。
五輪日本代表でも活躍
新井選手は広島と阪神で主力としてプレーし、オリンピックの日本代表でも中軸を打つなど活躍しました。
新井選手は、阪神に移籍して1年目で迎えた2008年の北京オリンピックで腰の疲労骨折を抱えながら日本代表の4番を務めました。
予選リーグでは、この大会で金メダルを獲得したライバル・韓国との試合で先制のホームランを打つなど、けがの痛みを見せずにチームを引っ張りました。
また、北京オリンピックがあったシーズンオフには、野球に対するまじめな姿勢や責任感が評価されて、日本プロ野球選手会の7代目の会長に就任しました。
新井選手は4年にわたって会長を務め、東日本大震災の発生直後のプロ野球の開幕時期をめぐる問題や、WBC=ワールド・ベースボール・クラシックの参加問題に選手側の代表としてリーダーシップを発揮して取り組みました。
地元のファンは
広島県坂町の82歳の男性は「フリーエージェントで阪神に行った時は『くそったれ』と思いましたが、帰ってきて、チームのために尽くして、先輩として若手を育ててくれました。広島にはなくてはならない人です。今後もチームの発展のために尽くしてほしいです」と話していました。
5日夜、広島市のマツダスタジアムで行われる広島対阪神の試合を観戦するという岡山市の54歳の男性は「悲しいですね。いつも全力ですばらしい選手でした。残りの試合も1試合1試合、全力でみんなを魅了してもらいたいです」と話していました。
広島市に住む大学生は「サヨナラ勝ちの時にいちばん最初にベンチから出てくるのが印象的で、家族でいつも見ていました。ことしこそは日本一を目指して頑張ってほしいです」と話していました。
広島 松田オーナー「チームの絆は新井選手のおかげ」
広島の松田元オーナーは、新井選手の現役引退の表明を受け、「新井選手は心で考える人です。心で考えた決意なので、引き止めることができませんでした。私たちのチームが兄弟のような絆を持つチームになったのは、新井選手のおかげだと思っています。優勝し、日本一になって彼を送り出せることを願っています」というコメントを出しました。
黒田さん「若い選手のこと考えた決断 彼らしい」
広島で一緒にプレーした黒田博樹さんは「シーズン中に何度か一緒に食事をする中で、『こういう決断をするのでは』と思っていたところもありました。ただ、言葉で聞いたときはショックでした。チームのこと、若い選手のことを考えた決断というのは彼らしい。最後の試合を見たら思い出話もできるかもしれませんが、カウントダウンが始まっただけで、試合は続きます。チームを引っ張っていく姿勢は変わらないでしょうし、最後までたくさんの声援を受けて1日1日を過ごしてもらいたいです」とコメントを出しました。
會澤選手会長「さみしいのひと言」
広島で選手会長を務める會澤翼選手は「きのうの試合後、新井選手からチームメート全員に引退の話があった。本当にさみしいのひと言です」と話しました。
そのうえで、「頼れる兄貴でたくさん相談させてもらい、アドバイスももらった。選手会長に就任する時も激励されて、『やってやろう』という気持ちになった」と振り返りました。
そして「新井さんを笑顔で送り出せるよう、チーム一丸となって頑張りたい」と話しました。
石原選手「背中で引っ張ってくれる存在だった」
新井選手と通算で10シーズン、一緒にプレーした38歳の石原慶幸選手は「ずっと一緒に長くやってきたのでさみしい。若い頃から新井さんの背中を見ながらプレーしていた。背中で引っ張ってくれる存在だった」と話しました。
そのうえで、「新井さんが広島に復帰して、チームの雰囲気がよくなったし、何より、また一緒にプレーでできたことがうれしかった。リーグ優勝と日本一を勝ち取って、最高の形で送り出したい」と話していました。
菊池選手「育ててくれたお兄ちゃん」
菊池涼介選手は「引退することはうすうす感じていて、びっくりしたと言うよりは、『そうか』という感じだ」と話しました。
そのうえで、「一緒にプレーした4年間で人間としても野球人としても育ててくれた、お兄ちゃんだった。これまで頼りながらやってきたので、いなくなったあとは、自分たちの力でチームを引っ張りたい」と話していました。
鈴木選手「自分も頼られる4番に」
4番を務める鈴木誠也選手は、「悲しいです。4番を任され始めたとき、食事に連れて行ってもらっていろんなことを教えてもらったことが思い出です」と話しました。
そのうえで「勝ちたいという思いや、自分を犠牲にしてでも1点を取りに行く姿勢を見て、あんな選手になりたいと思っていた。自分もみんなに頼られる4番になっていきたい」とさらなる成長を誓いました。
野村投手「全力プレーの大切さを教えてもらった」
野村祐輔投手は「もう少し一緒に野球がしたかったので残念です。おととしの秋に『お前が投手陣を引っ張れ』と激励され、頑張ろうと思いました」と話しました。
そのうえで、「いつも一生懸命な姿を見て、若い僕たちも負けられないという気持ちになっていた。全力プレーの大切さを教えてくれた新井さんを日本一になって送り出したい」と話していました。
阪神 金本監督「弟みたいな存在」
広島と阪神でともにプレーした阪神の金本知憲監督は、「もう少しプレーヤーとしてできる体力があると思うので、もったいないというのが本音だ。彼なりに決意した引き際なんだろう」と話しました。
また、新井選手との思い出については、「若いときはミスばかりしていたが、阪神に来てからは、3番だった彼がフォアボールを選んだり、右に単打を打って後ろにつなごうとしてくれ、4番を打っていた僕にはいいプレッシャーだった。弟みたいな存在だった」と振り返りました。
そのうえで、「若い選手がやりやすい雰囲気を作り、この年齢になっても全力疾走を続けるなど、野球に対する姿勢が、今のカープの強さの根底にあると思う」と話していました。
ソフトバンク 達川ヘッドコーチ「ここまでようやったのぉ」
新井選手のルーキー時代、広島の監督を務めていたソフトバンクの達川光男ヘッドコーチは「ドラフト6位で入ってきて、最初は”どうしてプロに来たのか、3年以内にクビになるだろう”と思った選手だった。それが20年もプロでやって、2000本安打を達成し、ファーストでゴールデン・グラブ賞も獲得した。努力以外にない。いろんな選手をみてきたが、これほど努力をした選手はいない。”ご苦労さん”よりも”20年もここまでようやったのぉ”という言葉を贈りたい」とたたえていました。
巨人 高橋監督「努力で優れた打者に」
巨人の高橋由伸監督は、遠征先の富山県で報道各社の取材に応じ、「勝負強さがあったし、チームバッティングもできる。努力してあのようなバッターになった選手で本当にすごいと思う」と話していました。
巨人 上原投手「パワーと努力の人」
新井選手と北京オリンピックのアジア予選で日本代表として一緒にプレーした巨人の上原浩治投手は、遠征先の富山県で報道各社の取材に応じました。
上原投手は、「さみしいのがいちばん。何十回と対戦したが、パワーがすごくて、努力の人だった」と感想を口にしました。
また新井選手とのいちばんの思い出を聞かれ、「北京オリンピックのアジア予選で、最後に自分が投げて、ファーストにいた新井選手と勝った喜びを一緒に味わったこと」と振り返りました。
巨人 内海投手「よく打たれた印象」
新井選手と数多く対戦した巨人の内海哲也投手は、「新井さんにはよく打たれた印象があります。プロ野球選手会の会長としても球界を背負ってもらいました。引退するのはさみしいです」と話していました。