広島への
原爆投下から、
6日で
80年です。
被爆者が
高齢化し、
体験を
直接聞くことが
次第に
難しく
なる中、
核兵器をめぐる
国際情勢は
厳しさを
増しています。
随着受害者的高龄化,直接聆听他们的经历变得越来越困难,而围绕核武器的国际形势也日益严峻。
被爆地・
広島は、
6日、
被爆者たちが
一貫して
繰り
返してきた
核兵器廃絶の
声を、
改めて
国内外に
強く
訴える
1日となります。
被爆地广岛在6日这一天,将再次向国内外强烈呼吁废除核武器,这是受害者们一贯不断重复的心声。
広島に
原爆が
投下されて
80年となる
6日、
広島市の
平和公園には
朝早くから
被爆者や
遺族が
訪れ、
祈りをささげていました。
6日是广岛原子弹投下80周年,广岛市和平公园从清晨开始就有原子弹受害者和遗属前来祈祷。
原爆で
両親と
2人の
姉、
それに
祖父母を
亡くした
94歳の
被爆者の
男性は「
あの日のことを
思い
出すと、
悲しくて
悔しくて、
子どもや
孫にも
話せない。
当时94岁的原子弹受害者男性失去了父母、两个姐姐以及祖父母,他说:“每当回忆起那一天,悲伤和懊悔交织在一起,甚至无法对自己的孩子和孙辈诉说。”
私のような
思いをする
人が
二度と
出ないように、
この地球から
核兵器をなくしてほしい」と
話していました。
她说:“我希望这个地球上再也不会有人像我一样经历这样的痛苦,希望能够消除核武器。”
また、
姉2人と
弟1人を
亡くした
90歳の
被爆者の
女性は「
被爆当時の
光景はことばにできません。
此外,一位90岁的原子弹爆炸幸存女性失去了两位姐姐和一位弟弟,她说:“爆炸时的景象无法用言语表达。”
原爆のことは
ずっと考えたくありませんでしたが、
私も
90歳で
これが
最後だと
思って
来ました。
我一直不想去想原子弹的事情,但我今年已经90岁了,觉得这可能是最后一次,所以才来了。
世界で
戦争が
たくさん起こっている
現状がなんとかならないのかという
思いで
祈りをささげました」と
話していました。
“我怀着‘世界各地发生着许多战争,这种现状难道不能有所改变吗’的想法,献上了祈祷。”
午前8時から
広島市の
平和公園で
行われる
平和記念式典には、
被爆者や
遺族の
代表に
加え、
アメリカやイギリス
など核保有国を
含む
過去最多となる
120の
国と
地域の
大使などが
参列する
予定です。
从上午8点开始在广岛市和平公园举行的和平纪念仪式,除了有原子弹受害者和遗属代表出席外,还预计有包括美国、英国等拥有核武器国家在内的创纪录最多的120个国家和地区的大使等参加。
式典では、
広島で
被爆し、この
1年に
亡くなった
人や
死亡が
確認された
人、あわせて
4940人の
名前が
書き
加えられた
34万9246人の
原爆死没者名簿が
原爆慰霊碑に
納められ、
原爆が
投下された
午前8時15分には、
参列者全員で
黙とうをささげて、
犠牲者を
追悼します。
在仪式上,被收录进原子弹慰灵碑的原子弹遇难者名册中,又新增了今年在广岛被爆后去世或确认死亡的4940人的姓名,使得总人数达到349,246人。原子弹投下的上午8点15分,所有与会者将一起默哀,悼念遇难者。
全国の
被爆者の
平均年齢はことし
86歳を
超え、
初めて
10万人を
下回り、
被爆体験を
直接聞くことは
次第に
難しくなってきています。
今年,全国受害者的平均年龄已超过86岁,首次低于10万人,直接聆听被爆经历变得越来越困难。
そうした
中、
去年、
日本被団協=
日本原水爆被害者団体協議会がノーベル
平和賞を
受賞し、
被爆地では、
核兵器廃絶への
機運が
高まることが
期待されました。
在这种情况下,去年,日本被团协——即日本原子弹氢弹受害者团体协议会获得了诺贝尔和平奖,在受核爆影响的地区,人们期待废除核武器的呼声能够高涨。
一方、
国際社会では、
核保有国による
威嚇が
繰り
返されたり、
核抑止力を
強化しようとする
動きがみられたりするなど、
核兵器をめぐる
情勢は
厳しさを
増しています。
另一方面,在国际社会上,核武器国家反复进行威胁,或试图加强核威慑力等,围绕核武器的局势正变得愈发严峻。
人類史上初めて
核兵器の
惨禍を
経験した
広島は
6日、
犠牲者を
追悼するとともに、
被爆者たちが
一貫して
繰り
返してきた
核兵器廃絶の
声を、
改めて
国内外に
強く
訴える
1日となります。
广岛作为人类历史上首次经历核武器灾难的城市,于6日不仅悼念遇难者,还将再次向国内外强烈呼吁废除核武器,重申受害者们一贯坚持的主张。
《
追悼に
訪れた
人々の
声》
被爆者の
90歳女性 “
被爆当時の
光景 言葉にできない”
姉2人と
弟1人を
亡くしたという
広島市西区に
住む
90歳の
被爆者の
女性は「
原爆のことはずっと
考えたくありませんでしたが、
もう、
私も
90歳でこれが
最後だと
思って
供養塔に
来ました。
被爆当時の
光景は
言葉にできません。
今、
世界では
戦争がたくさん
起こっていますが、こうした
現状はなんとかならないのか。
现在,世界上发生着许多战争,难道这种现状就无法改变吗?
そうした
思いで
祈りをささげました」と
話していました。
入り
市被爆した
94歳男性 “
私のような
思いする
人 二度と
出ないで”
原爆で
両親と
2人の
姉、それに
祖父母を
亡くし、
自身は
入り
市被爆した
94歳の
男性は、
広島市西区からひとりで
原爆慰霊碑を
訪れました。
男性は「
学徒動員で
広島市外にいて、
翌日に
市内に
戻ると、
川で
亡くなっている
人がたくさんいて、
水を
求めながら
亡くなったんだと
思いました。
那名男子说:“因为学徒动员,我当时在广岛市外,第二天回到市内时,看到河里有很多遇难的人,我想他们是在渴望水的过程中去世的。”
あの
日のことを
思い
出すと、
悲しくて
悔しくて、
子どもや
孫にも
話せない。
每当回想起那天的事情,我既伤心又懊悔,连孩子和孙子都无法诉说。
私のような
思いをする
人が
二度と
出ないように、この
地球から
核兵器をなくしてほしい」と
話していました。
她说:“我希望这个地球上再也不会有人像我一样经历这样的痛苦,希望能够消除核武器。”
両親と
兄が
被爆 75歳女性 “
原爆に
足引っ
張られ
苦しんできた”
両親と
兄が
被爆したという
京都府の
75歳の
女性は「
兄は
1歳半で
被爆してすぐに
亡くなりましたが、いまも
生きていれば
81歳で、ふつうに
生きてほしかったとずっと
思い
続けています。
自分は
被爆2世で、
原爆によって
足を
引っ
張られ、
苦しんで
生活してきました。
我是原子弹爆炸的第二代受害者,因为原子弹的影响,一直被拖累,过着痛苦的生活。
核兵器は
絶対に
使ってはいけないですし、
解決は
話し
合いで
行うべきだと
思います」と
話していました。
親族が
被爆した
46歳男性 “
積極的に
平和への
活動を”
原爆で
祖母や
親族が
被爆したという
広島市中区の
司法書士の
46歳の
男性は「
8月6日には
休みが
取れる
限り
毎年来るようにしている。
核抑止力を
訴える
政治家が
出てきていることに
憂いを
感じている。
平和教育を
受けてきたわれわれ
世代が
積極的に
平和への
活動をしていきたい」と
話していました。
我们这一代接受了和平教育的人们表示:“我们希望积极参与促进和平的活动。”
両親が
被爆した
69歳女性 “
核兵器は
使わないことが
一番”
原爆で
祖父を
亡くし、
両親が
被爆した
広島市の
69歳の
女性は「
広島はずっと
平和を
訴えていますが、
世界中で
戦争が
起きていて、
訴えが
伝わらないことが
悲しいです。
戦争は
二度と
起きてほしくない。
核兵器は
使わないことが
一番だと
思います」と
話していました。
父親が
被爆者 61歳男性 “ウクライナとロシアの
状況は
残念”
亡くなった
父親が
被爆者だったという
広島市南区の
61歳の
男性は「
亡くなった
方に
静かに
安らかに
眠ってくださいという
思いで
手を
合わせました。ウクライナとロシアの
状況などを
見ていると、
生まれたばかりの
子どもが
亡くなったりしていて
残念ですし、
どこに
怒りをぶつけていいのか
分からないです」と
話していました。
当我看到乌克兰和俄罗斯的局势时,看到刚出生的孩子去世,感到非常遗憾,也不知道该把愤怒发泄到哪里。
《
海外からの
反応》
米国務省報道官 “
平和と
希望の
メッセージを
敬う
厳粛な
日”
アメリカが
広島に
原爆を
投下してから
80年となることについて、アメリカ
国務省のブルース
報道官は
5日の
記者会見で「
6日は
広島の
人たちと
彼らの
平和と
希望のメッセージを
敬い、
過去を
顧みて
追悼する
厳粛な
日だ」と
述べました。
また「
広島の
人たちの
強じんさは
80年にわたって
世界に
感銘を
与え、
その和解の
精神はアメリカとの
同盟を
強くしてきた。
此外,“广岛人民的坚韧在80年间感动了全世界,他们的和解精神也加强了与美国的同盟关系。”
80年間、アメリカと
日本は
肩を
並べ、
太平洋地域の
平和と
繁栄を
守ってきた。
80年来,美国和日本携手并肩,共同维护着太平洋地区的和平与繁荣。
今日、
両国は
緊密な
同盟国としてともにあり
未来と
向きあっている」と
話しました。
アメリカの
グラス駐日大使は
6日、
広島市で
行われる
式典と
今月9日の「
長崎原爆の
日」に
長崎市で
行われる
式典にアメリカ
政府を
代表して
出席する
予定です。
美国驻日本大使格拉斯将于6日代表美国政府出席在广岛市举行的仪式,以及本月9日“长崎原子弹爆炸日”在长崎市举行的仪式。
グラス
大使は
出席に
先立ち「
式典に
出席できることを
光栄に
思います。
格拉斯大使在出席前表示:“能够出席此次典礼,我感到非常荣幸。”
広島と
長崎の
人々と
両市民による
平和と
希望のメッセージは
和解が
持つ
力を
永続的に
思い
起こさせてくれます」と
コメントしています。
广岛和长崎人民以及两市市民传递的和平与希望的信息,永远提醒着我们和解所拥有的力量。
式典会場に
高齢被爆者など
向けの
優先入り口平和記念式典に
参列する
高齢の
被爆者や
遺族などが、
炎天下で
長時間待たされることがないよう、
広島市は
今回初めて
優先の
入り口を
設けました。
式典の
会場の
平和公園には、
被爆者や
遺族、それに
一般の
参列者などのために
およそ7000席が
設けられ、
周辺で
多くの
警察官が
警戒にあたっている
ほか、
入り口では
手荷物検査が
行われています。
在典礼会场的和平公园内,为了被爆者、遗属以及普通参会者等,设置了大约7000个座位。周围有许多警察在进行警戒,入口处还进行随身行李检查。
去年は
参列者が
炎天下で
長時間待たされ、
高齢の
被爆者などが
入場をあきらめる
ケースもあったということで、
広島市は
今回初めて
被爆者や
遺族、それに、
高齢者や
障害の
ある人などを
対象とした
優先入り口を
5所">か所に
設けました。
去年,由于参加者在炎热的天气下长时间等待,有些高龄的原子弹受害者等不得不放弃入场。为此,广岛市今年首次在五个地点设置了优先入口,面向原子弹受害者、遗属以及高龄者和残障人士等。
午前6時に
入場が
始まると、
被爆者や
遺族などは
ほとんど待つことなく
手荷物検査を
受け、
会場に
入っていきました。
上午6点开始入场时,受害者及其遗属等几乎没有等待就通过了行李检查,进入了会场。
82歳の
被爆者の
男性は「
去年は
午前6時の
時点で
すごい行列ができていて、
1時間から
2時間ほど
待って
汗だくになりました。
一位82岁的原子弹爆炸幸存者男性说:“去年早上6点的时候就已经排起了长队,我等了大约一到两个小时,浑身是汗。”
高齢者や
被爆者には
厳しかったので、
改善されてよかったです」と
話していました。
她说:“对老年人和被爆者来说很严苛,所以能得到改善真是太好了。”
6日の
会場周辺では
日中に
気温が
上がると
予想されていて、
市は
去年に
続いて
霧を
噴射する
機器を
設置したり、おしぼりを
貸し
出したりしているほか、
給水所を
2か所に
増やすなどして
暑さ
対策を
取っています。
预计6日会场周边白天气温会上升,市政府继去年之后再次设置了喷雾设备、提供湿毛巾出租,并将供水点增加到两个等,以应对高温天气。