走攻守3拍子そろった選手として盗塁王を3回獲得したほか、セカンドの守備で見せた「バックトス」など巧みなプレーでゴールデン・グラブ賞にも3回輝きました。そして通算2274安打をマークし「ミスタードラゴンズ」と呼ばれました。
現役引退後、中日の監督を務め、平成6年には巨人との同率首位で迎えたシーズン最終戦、いわゆる「10・8決戦」で長嶋茂雄監督率いる巨人に敗れ、優勝することはできませんでした。
高木さんは平成18年に野球殿堂入りし、70歳だった平成23年のオフに再び監督に就任して翌年から2シーズン、チームを率いました。
球団関係者によりますと、高木さんは17日午前、名古屋市内で急性心不全のため亡くなったということです。78歳でした。
5日前までラジオ出演
高木さんは去年10月に、国鉄と巨人で活躍した金田正一さんが亡くなった時に、NHK名古屋放送局の取材に応じていました。高木さんははっきりした口調で現役時代の金田さんとの対戦を振り返っていました。
また、5日前の今月12日には、地元・名古屋のラジオ番組に出演していました。この中で、元中日のピッチャーでタレントの板東英二さんから「お変わりございませんか」と聞かれると、「お変わりございません」と答えるなど、元気な声を届けていました。
高木さんの後輩「偉大な存在」
高木さんが亡くなったことを受けて、県立岐阜商業野球部の10学年下の後輩で、現在、監督を務めている鍛治舍巧さんは「プロとアマチュアの違いはありながら、同じく野球の道に進んだ先輩として尊敬していたので本当に残念です。偉大な存在ですが、構えずに親しく接してくれる人でした」と話していました。