IOCの会長選挙は2期12年の任期を終えるバッハ会長の後任を決めるもので、20日、ギリシャで投票が行われました。
立候補したのはコベントリー氏や国際体操連盟会長の渡辺氏など7人で、投票は日本時間の20日、午後11時40分ごろから始まりました。およそ100人のIOC委員による無記名の電子投票が行われた結果、コベントリー氏が1回目の投票で過半数の票を獲得し、第10代の会長として発表されました。
IOC会長はこれまで9人が務め、全員が欧米出身の男性でしたが、41歳のコベントリー氏はアフリカ出身として、また、女性としても初めてIOCのトップに就任することになりました。
コベントリー氏は、ことし6月に会長に就任する予定で、任期は8年です。
一方、日本人として初めて立候補し、アジア出身として初めての会長就任を目指した渡辺氏は選出されませんでした。
コベントリー氏「IOCの価値観を中心に据え 大きな誇りを胸に」
第10代会長に選ばれたコベントリー氏は「みなさんに心から感謝を申し上げます。IOCの価値観を中心に据え、大きな誇りを胸に、この組織を率いていきたいと思います」と笑顔で話していました。
カースティ・コベントリー氏(ジンバブエ出身):IOC理事
カースティ・コベントリー氏はアフリカのジンバブエ出身の41歳。IOCの理事で今回、立候補した7人のうち唯一の女性候補でした。
競泳でオリンピックに5大会連続で出場し、女子200メートル背泳ぎでは2004年のアテネ大会でジンバブエの選手として初の金メダルを獲得し、次の北京大会で2連覇を果たしました。現役中の2013年からアスリート委員としてIOCの委員となりました。一方、ジンバブエではオリンピック委員会の副会長などを経て、スポーツ大臣を務めています。
会長選挙のマニフェストでは、アスリート出身の視点を生かして
▽選手の支援体制の充実や
▽女性スポーツの強化
▽若い世代の観客を獲得する重要性などを訴えていました。
このうち支援体制では選手やチーム、それにコーチを対象とした奨学金プログラムを拡大するとしていて、特にオリンピックの参加が少ない国や地域の参加者を増やすことで、より多様性のある大会につながると訴えていました。
“混戦”予想も投票1回で決着
今回のIOC選挙の前に海外メディアは「130年を超えるIOCの歴史上、最も混戦の選挙戦だ」などと報じ、過半数を獲得する候補者が出るまで何回も投票が行われると予想していました。
しかし、ふたを開けてみれば結果はコベントリー氏が1回目の投票で当選を決めました。IOC委員による無記名での投票が行われた後に、会場では1回目の投票で当選者が決まったことがアナウンスされました。そして、そのおよそ30分後にバッハ会長がコベントリー氏の選出を正式に発表しました。
イギリスの新聞・テレグラフは「コベントリー氏こそが初の女性会長を望んでいたバッハ会長が推薦していた候補者で、候補者の中では改革派というより現在の路線を継続するだろう」などと伝えています。ただ、バッハ会長は記者会見で「自分が推薦する候補者はいなかった」と説明しています。
《投票結果》
IOCは会長選挙の投票結果を発表しました。有効投票数は97票で、新会長に選ばれたコベントリー氏は1回目の投票で過半数となる49票を獲得しました。
▽IOC元会長の息子で現在、副会長を務めるスペインのフアンアントニオ・サマランチ・ジュニア氏で28票
▽世界陸連会長でイギリスのセバスチャン・コー氏が8票
▽国際体操連盟会長の渡辺守成氏と、国際自転車競技連合会長でフランスのダビド・ラパルティアン氏がともに4票
▽ヨルダンオリンピック委員会会長のファイサル氏と、国際スキー・スノーボード連盟会長でイギリスのヨハン・エリアシュ氏がともに2票でした。
コベントリー氏は仮に1票少ない48票だと過半数に届かず、2回目の投票が行われていましたが、49票を獲得し、7人で争った選挙は1回目の投票で決着しました。
コベントリー氏「ほかの候補者とも団結」
第10代のIOC会長に就任することが決まったコベントリー氏は取材に応じました。
この中で競泳の金メダリストのコベントリー氏は「2004年に初めてオリンピックでメダルを取った時のような気持ちだ」と自身の経験を引き合いに出して喜びを語りました。
そしてアフリカ出身として、また、女性としても初めてIOCのトップに就任することについては「私たちは真にグローバルで多様性に対して真にオープンな組織へと進化していることを示した。今後の8年間もその道を歩み続けるつもりだ」と話しました。
コベントリー氏は、バッハ会長が退任することし6月までの3か月間を「非常に大切な時期」と述べたうえで今後の政策については「公約で記したとおり、IOC委員の意見を聞くことを大切にしながら、ほかの候補者とも団結して取り組むべき課題について考えていきたい」と話していました。
新会長が向き合う課題は
IOCの新会長がまず向き合うことになるのが、2期12年務めてきたバッハ会長が進めてきた改革を継承するのかどうかです。
バッハ会長は就任後、「アジェンダ2020」と名付けた40項目にわたる中長期のオリンピックの改革案を導入しました。この中では開催都市が追加競技を提案できる制度や、開催都市の経済的負担を減らすため、既存や仮設の施設の利用を推奨することなどを盛り込みました。
2期目の2021年には体を動かしながらオンラインで競う「バーチャルスポーツ」を将来の実施競技として検討することなど15項目の新たな改革案を打ち出しました。こうしたバッハ会長の改革路線を継承するのか、転換するのか、そして、どのように独自色を出していくのかが注目されます。
これに関連して開催都市の選定において多くの都市が手を上げられる仕組み作りをよりいっそう進めていく必要があります。背景には開催経費の高騰や世界的な気候変動の影響で候補地が減っていることがあり、開催に伴う経済的負担や環境負荷を最小限に抑えなければならない状況があります。
さらに、ウクライナへの軍事侵攻を続けるロシアとその同盟国のベラルーシへの対応や、トランスジェンダーの選手のオリンピックへの参加の判断についても課題と言えます。
渡辺守成氏の敗因は
渡辺氏の敗因はアメリカとヨーロッパの出身が全体の半数近くを占めるIOC委員の中で、自身が掲げた斬新な公約などに対する支持を広げられなかったことにあると言えます。
立候補した当初から劣勢が予想される中で、渡辺氏は去年12月に発表した公約で、世界の五大陸の5つの都市で同じ時期に夏のオリンピックを共催し、各地で10競技ずつ実施するというほかの候補者にはない案を示しました。
さらに、ことし1月にはIOCの今後のあり方について「政治からの独立を保ったまま活動の幅を広げる」として「世界スポーツ機関」に改めるとする、こちらも斬新な考えを打ち出しました。
オリンピックの注目競技である体操の国際競技団体のトップを務め、世界各地を回って人脈を構築してきましたが、IOC委員に就任してからは、まだ6年半ほどと日が浅く、IOC内での影響力や知名度は大きいものではありませんでした。日本人として初めて立候補し、アジア初の会長就任を目指しましたが、自身の訴えを浸透させるまでには至らず選出はなりませんでした。
渡辺守成氏「いつかは日本人がIOCの会長に」
渡辺守成氏は結果が発表された直後、NHKのインタビューに応じました。
この中で、コベントリー氏が1回目の投票で過半数の票を獲得して選出されたことに「意外だった」として悔しさをにじませつつも、「スポーツの世界だから、決まったルールの中で選挙が行われ、その結果コベントリー氏が勝ったということだ。アフリカ出身で、女性の時代とも言われる中、多様性を重要視していこうというIOCの方針がしっかり打ち出されたという意味でよかったと思う」と話していました。
また、コベントリー氏に対しては「41歳という若さゆえに出てくるいろいろな改革案を積極的に実行してもらいたい」と期待を寄せていました。
そして、五大陸でのオリンピック共催を訴えるなど大胆な主張も公約に掲げたみずからの活動について「投票が終わったあと、委員の皆さんが私のところに来て、IOCはあのような斬新なアイデアを必要としているので、引き続き活躍してほしいという意見をいただいた。そういう点ではやって非常によかったし、やり切ったと思う。これからも世界のスポーツ界に刺激を与え続けていきたい」と話していました。
その上で、日本のスポーツ関係者に向けて「皆さんのご期待に添えず、誠に申し訳ありませんでした。しかし、これが日本のスポーツ界にとっての新しい第1歩になれたと思っている。いつかは日本人がIOCの会長になることを願っている」と述べ、今後につながる挑戦だったと振り返りました。