日本相撲協会を
退職した
元横綱・
白鵬の
白鵬翔さんが
都内で
会見を
行い、
今後は
相撲を
世界に
広げる活動を
行って
いく考えを
明らかにしました。
前橫綱・白鵬翔先生已從日本相撲協會退休,他在東京都內舉行記者會,表明今後將致力於將相撲推廣到全世界。
記事後半で会見の内容を詳しくお伝えしています。
元横綱の白鵬さんは現役引退後、宮城野部屋の師匠を務めていました。
前橫綱白鵬在現役引退後,擔任了宮城野相撲部屋的師傅。
しかし弟子の暴行問題で宮城野部屋が閉鎖され、去年4月から部屋付きの親方として伊勢ヶ濱部屋に移籍しましたが、日本相撲協会に退職を届け出て9日付けで退職しました。
然而,由於弟子暴力事件,宮城野相撲部屋被關閉,從去年四月起作為隸屬該部屋的親方轉籍至伊勢之濱相撲部屋,但已向日本相撲協會提交辭職申請,並於本月九日正式退休。
白鵬さんは9日昼過ぎから都内で会見し、退職の理由については「宮城野部屋が伊勢ヶ濱部屋預かりになったことは、親方として申し訳なかった。
白鵬先生於9日中午過後在東京都內舉行記者會,關於辭職的理由,他表示:「宮城野部屋被伊勢之濱部屋暫時接管,作為親方實在感到抱歉。」
今の
自分が
置かれている
状況を
考えると、
協会の
中ではなく
外から
相撲を
発展させたいと
思った」
などと
説明しました。
考慮到自己目前所處的狀況,我解釋說:「我想要從協會外部來推動相撲的發展,而不是在協會內部。」
そのうえで「4月で部屋の閉鎖から丸一年がたったが、再興がいつということが示されず、延びたことが今回の退職の理由としては大きい」と話しました。
在此基礎上,他表示:「房間自從去年四月關閉至今已經滿一年了,但一直沒有說明什麼時候會重新開放,這次辭職的主要原因就是因為延期了。」
今後の活動については、新たな会社を設立したうえで現役の時から海外のチームも招いて少年相撲大会を開催してきた経験を生かして相撲を世界に広げる活動を行っていくことを明らかにしました。
關於今後的活動,他表示將成立新公司,並運用現役時期以來邀請海外隊伍舉辦少年相撲大會的經驗,致力於將相撲推廣到全世界。
白鵬さんは「相撲を世界に広げるプロジェクトを中心にやっていく。
白鵬先生表示:「將以推廣相撲到全世界的計畫為核心來進行。」
白鵬杯をベースとして
世界中の
多くの
人にその
魅力を
伝える。
相撲は
神事でもあり
精神や
肉体を
鍛え
礼に
始まり
礼に
終わる。
相撲不僅是一種神聖的儀式,也是鍛鍊精神與體魄的活動,始於禮,終於禮。
その魅力は
世界の
差別や
偏見、
争いごとを
解決する
希望を
届けられると
信じている」
などと
話しました。
他說:「我相信它的魅力能帶來希望,解決世界上的歧視、偏見和衝突。」
《会見詳しく》
“外から相撲を発展させたい”
会見では、はじめに元横綱の白鵬翔さんと日本相撲協会を退職する前の師匠で元横綱・旭富士の宮城野親方が登壇し、退職の経緯を説明しました。
《記者會詳情》「想從外部推動相撲發展」的記者會上,首先由前橫綱白鵬翔先生與日本相撲協會,在退休前的師傅、前橫綱旭富士的宮城野親方登台,說明了退休的經過。
白鵬さんは「
宮城野部屋が
伊勢ヶ
濱部屋預かりになったことは
親方として
申し訳なかった。
白鵬表示:「宮城野部屋成為伊勢之濱部屋的寄託,作為親方我感到非常抱歉。」
今の
自分が
置かれている
状況を
考えると
協会の
中ではなく
外から
相撲を
発展させたいと
思った。
考慮到現在自己的處境,我希望不是在協會內部,而是從外部推動相撲的發展。
相撲に
愛され
相撲を
愛した25
年だったが、
日本相撲協会を
退職して
新たな
夢に
向かって
進みたい」と
話しました。
雖然這25年來一直受到相撲的愛戴,也深愛著相撲,但我決定辭去日本相撲協會的職務,朝著新的夢想前進。
“相撲を世界に” 新プロジェクト立ち上げの考え
今後の活動について「相撲を世界に広げるプロジェクトを中心にやっていく。
「將相撲推向世界」 新計畫啟動的想法及未來活動,表示「今後將以推廣相撲至全世界的計畫為核心來推動」。
白鵬杯をベースとして
世界中の
多くの
人にその
魅力を
伝える。
相撲は
神事でもあり
精神や
肉体を
鍛え
礼に
始まり
礼に
終わる。
相撲不僅是一種神聖的儀式,也是鍛鍊精神與體魄的活動,始於禮,終於禮。
その魅力は
世界の
差別や
偏見、
争いごとを
解決する
希望を
届けられると
信じている」と
話し、
新たなプロジェクトを
立ち
上げる考えを
示しました。
他表示:「我相信它的魅力能帶來解決世界歧視、偏見和紛爭的希望」,並表達了啟動新計劃的想法。
退職“弟子には夏場所後に伝えた”
日本相撲協会の退職を決断した時期について「3月に一門の親方衆から報告があり本当に悩んだ。
「退休的事是在夏季比賽後告訴弟子的」關於決定退出日本相撲協會的時期,他說:「三月時門內的親方們向我報告了這件事,真的讓我很苦惱。」
そこで退職という
形になったが、
弟子たちには
夏場所後に
全員に
伝えた」と
話しました。
因此才以退休的形式結束,但他表示已在夏季比賽結束後告知了所有弟子。
そして、
家族に
伝えた
際の
反応については「
家族は
私を
後押ししてくれた」と
話しました。
然後,談到告訴家人時的反應時,他說:「家人支持了我。」
浅香山部屋への移籍 “確実な話ではなかった”
浅香山部屋への移籍を打診されたことについての質問に対して「夏場所後半に浅香山親方から話があった。
關於轉籍到淺香山部屋一事,「並不是確定的消息」,在被問及有關被詢問是否轉籍到淺香山部屋時,他表示:「夏場所後半,淺香山親方曾經跟我提過這件事。」
伊勢ヶ
濱一門の
中で
間を
取って
行動してくれた。
部屋のキャパシティーの
問題も
あるなかで、そういう
話もあったが
確実な
話ではなかった」と
話しました。
在房間容量有問題的情況下,雖然有過那樣的討論,但並不是確定的事情。
“3月から気持ちに揺れ”
日本相撲協会から弟子の指導に身が入っていないのではないかと指摘されたことについて「3月に入ってからの会話だと思う。
「自三月開始心情動搖」關於被日本相撲協會指出是否沒有專心指導弟子的問題,他表示:「我想那是三月以後的對話。」
私の
気持ちに
揺れがあり、3
月からそういったことばや
行動で、
私自身、
身が
入っていないというのがあったかもしれない」と
話しました。
我心情有些動搖,從三月開始,可能因為那些言語和行動,我自己也變得有些心不在焉了。
“照ノ富士の下が嫌だとかは全くない”
退職を思いとどまるように説得されても気持ちが変わらなかった理由を質問されたのに対して「4月で部屋の閉鎖から丸一年がたったが、いつということが示されず延びたことが今回の退職の理由としては大きい」と話し、部屋の再開時期が明確に示されなかったことが理由だという見解を示しました。
「我完全沒有討厭照ノ富士。」當被問及即使被勸說要打消退職念頭,心情仍未改變的理由時,他表示:「從四月份起,部屋關閉已經整整一年,但一直沒有明確說明何時會重新開放,不斷延後,這是這次退職的一個很大原因。」他表明,因為沒有明確告知部屋重新開放的時機,這就是他退職的主要理由。
一方で「
照ノ
富士は
後輩として
よく頑張ってくれた。
照ノ
富士の
下が
嫌だとかは
全くない」と
話し、モンゴルの
後輩で
ある元横綱・
照ノ
富士が
師匠と
なる伊勢ヶ
濱部屋で
親方を
続けることが
嫌で
退職を
決断したわけではないという
主張をしました。
他表示:「我完全沒有討厭照ノ富士在我之下。」並主張自己並不是因為不想在蒙古後輩、前橫綱照ノ富士成為師傅的伊勢ヶ濱相撲部屋繼續擔任親方而決定辭職的。
“豊田章男 会長 後押ししてくれるのはうれしい”
白鵬さんが立ち上げる新たなプロジェクトと日本相撲協会との連携について、会見に同席し、新たに設立される会社で役員となる予定の森井理博氏は「アマチュア相撲のすそ野を広げていくことで、将来大相撲の新弟子候補が増えれば間接的に協会とつながる。
豐田章男會長說:「能夠獲得支持我很高興。」關於白鵬先生所發起的新項目以及與日本相撲協會的合作,在記者會上共同出席並預計成為新成立公司的董事的森井理博先生表示:「通過擴大業餘相撲的基礎,如果將來大相撲的新弟子候補增加了,也會間接地與協會產生聯繫。」
協会とも
連携を
取りながら
たくさんあるアマチュアの
団体とも
密に
連携を
取っていきたい」と
話しました。
他表示:「我們希望在與協會保持聯繫的同時,也能與眾多業餘團體密切合作。」
また、新会社のスポンサーについての質問に対して森井氏がトヨタ自動車が報道で取り上げられていることをみずから紹介したうえで、白鵬さんに話を振りました。
此外,針對有關新公司的贊助商問題,森井先生主動提及豐田汽車在報導中被提到,然後把話題轉給了白鵬先生。
これに対して白鵬さんは「
感謝をしているし、うれしい
気持ちで
いっぱいだ。
對此,白鵬先生表示:「我心懷感激,內心充滿喜悅。」
豊田章男会長は
私を
友人だと
応援してくれていて、
名古屋場所の
際にはトヨタの
施設を
使わせてくれた。
豐田章男會長一直支持我,把我當作朋友,在名古屋場所時還讓我使用豐田的設施。
後押しをして
くれるのはうれしい」と
話しました。
退職“悔いは全くありません”
日本相撲協会の退職に悔いがあるかという質問に「悔いは全くありません」と答えました。
退休「完全沒有遺憾」——在被問及對日本相撲協會退休是否有遺憾時,他回答說:「完全沒有遺憾。」
そして最後に「25年間ありがとうございました。
弟子たちを
近くで
見ながら
横綱や
大関に
なるのを
見たいという
思いがあったが、
宮城野部屋が
復活し、
それを
外の
立場から
応援していきたい。
雖然我曾經希望能近距離看著弟子們成為橫綱或大關,但現在宮城野部屋已經復活,我想從外部的立場來支持他們。
いずれ相撲をオリンピックにするという
夢を
見て
今後いちから
努力して
いく」と
話し、
会見を
終えました。
「我懷抱著有一天能將相撲納入奧運的夢想,今後也會從頭開始努力。」他如此表示,並結束了記者會。
宮城野親方「残念だが意志を尊重」
会見の中で、宮城野親方は「これだけの実績がありたくさんの記録を持っている人なので、ずっと協会にいてくれれば、これからいい力士がたくさん出ると思っていたが、本人の意志がすごくかたく、引き止めることができなくてファンの皆さんに大変申し訳ないと思っている。
宮城野親方:「雖然遺憾,但尊重其意願」在記者會上,宮城野親方表示:「他擁有這麼多的成就及眾多紀錄,如果能一直留在協會,我認為未來會有更多優秀的力士出現。但是本人意志非常堅定,無法挽留他,對於支持者們我感到非常抱歉。」
本当に残念だ」と
話しました。
そのうえで「本人は相撲を愛していて、相撲をしてきたことに誇りを持っていると常々聞いている。
在此基礎上,「我經常聽他說,他熱愛相撲,並且以從事相撲為榮。」
『
これからも
相撲を通じて社会貢献していきたい』とか『
相撲協会にも
恩があるから
応援していきたい』という
気持ちがすごくあって、
ただそれを
もっと外のほうからやっていきたいとのことだったので、
その意志を
尊重した」と
経緯を
明かしました。
「他說過『今後也想透過相撲來回饋社會』,還有『因為也受過相撲協會的恩惠,所以想繼續支持』,這樣的心情非常強烈。不過,他也表示想要更多地從外部來做這些事情,所以我們尊重了他的意願。」他說明了經過。
そして「私もきょうから宮城野親方になったが、旧宮城野部屋の力士の中から名跡を継げるものが出てきたらその力士に名跡を譲渡して、いずれ宮城野部屋を復興してもらえるよう尽力していきたい」と話しました。
然後他說:「我從今天開始也成為了宮城野親方,如果舊宮城野部屋的力士中有人能夠繼承名跡,我會將名跡讓渡給那位力士,並且希望他能夠將來復興宮城野部屋,為此我會盡力而為。」
元横綱・白鵬のこれまで
元横綱・白鵬の白鵬翔さんは40歳。
前橫綱・白鵬至今,前橫綱・白鵬的白鵬翔先生今年40歲。
15
歳のときにモンゴルから
来日し、
現役時代は
史上最多と
なる45
回の
優勝を
果たしました。
15歲時從蒙古來到日本,現役時期創下史上最多的45次優勝紀錄。
通算1187勝、横綱在位はおよそ14年に渡る84場所と、いずれも史上最多を記録し、現役生活およそ20年で数々の記録を打ち立てて、4年前の秋場所後に引退しました。
總計1187勝,橫綱在位約14年,歷經84場所,這些都是史上最多紀錄。在約20年的現役生涯中創下了無數紀錄,並於四年前秋場所結束後引退。
現役中の令和元年に親方を目指すうえで必要な日本国籍を取得し、本名はしこ名と同じ白鵬翔としました。
在現役期間的令和元年,為了成為親方而取得了日本國籍,本名也改為與四股名相同的白鵬翔。
引退後は間垣親方として、宮城野部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たり、令和4年7月に宮城野部屋を継承し部屋の師匠を務めていました。
退休後,他以間垣親方的身份,作為宮城野部屋的附屬親方指導後進,並於令和4年7月繼承宮城野部屋,擔任部屋的師傅。
また、現役中の平成22年から「白鵬杯」と名付けた少年相撲大会を主催し、相撲の普及と発展にも尽力してきました。
此外,從平成22年現役時期開始,他還主辦了名為「白鵬盃」的青少年相撲大會,致力於推廣和發展相撲運動。
一方で、現役時代から取り口や言動で批判を受けることもあり、平成29年九州場所の優勝インタビューでは万歳三唱をして場所後に厳重注意を受けたほか、平成31年春場所の優勝インタビューでは手締めをし相撲道の伝統と秩序を損なうとして、相撲協会から「けん責」の懲戒処分を受けました。
另一方面,他從現役時期開始,就因為比賽方式和言行受到批評。在平成29年九州場所的優勝採訪中,他高呼萬歲三唱,事後受到了嚴重警告。此外,在平成31年春場所的優勝採訪時,他進行了手締,因被認為損害了相撲道的傳統與秩序,而被相撲協會處以「譴責」的懲戒處分。
また、現役を引退した際、取り口や言動を巡って批判的な声があることなどから相撲協会内では親方になることについて懸念する意見も出ていました。
此外,當他現役引退時,由於其比賽風格和言行引發了一些批評聲音,相撲協會內部也出現了對他成為親方的擔憂意見。
宮城野部屋の師匠だった去年2月には、部屋で起きた暴力問題で監督責任などを問われて日本相撲協会から2階級降格と報酬減額の懲戒処分を受け、部屋の全員が同じ一門の伊勢ヶ濱部屋に移籍し、宮城野部屋は閉鎖されました。
去年二月,作為宮城野相撲部屋的師傅,因為部屋內發生的暴力事件被追究監督責任等,被日本相撲協會處以降兩級和減薪的懲戒處分,部屋的所有成員也全部轉籍到同一門派的伊勢之濱部屋,宮城野部屋因此被關閉。
大相撲の歴史のなかで並び立つ力士がいない実績を残した横綱経験者ですが、相撲界への功績を残した一方で、その言動などから多くの批判も受けてきました。
在大相撲的歷史中,這位曾經擔任橫綱的力士締造了無人能及的成就,雖然他對相撲界有卓越貢獻,但也因言行等原因受到了許多批評。
【詳細】退職の経緯
元横綱・白鵬は言動などを理由に現役時代に何度も注意や処分を受けていることから、4年前の令和3年秋場所後に引退する際、親方の襲名を議論する「年寄資格審査委員会」で、「親方になっても10年は部屋持ちの師匠にはさせない」などという厳しい意見が出ました。
【詳細】退休的經過,前橫綱・白鵬因言行等多次在現役時期受到警告或處分,因此在4年前令和3年秋季賽事結束後引退時,於討論親方襲名的「年寄資格審查委員會」上,有嚴厲的意見指出「即使成為親方,也不讓他在10年內成為擁有相撲部屋的師傅」等。
最終的には「協会の指導に従い、規則やしきたりを守る」という誓約書の署名を条件に年寄・間垣の襲名が承認されました。
最終上,以「遵從協會指導,遵守規則及慣例」的誓約書簽署作為條件,才批准了年寄・間垣的襲名。
極めて異例な形で親方になったあと、令和4年に宮城野部屋を継承しましたが、師匠だった去年2月に弟子の暴力問題が発生したことで監督責任を問われたほか、報告の遅れを指摘され、自身が厳しい懲戒処分を受けました。
在極為罕見的情況下成為親方後,於令和4年繼承了宮城野部屋,但去年2月,作為師父的他因弟子發生暴力事件而被追究監督責任,此外還被指責通報遲緩,自己也因此受到了嚴厲的懲戒處分。
当時、処分意見を相撲協会にあげたコンプライアンス委員会の一部の委員からは、親方になる際の誓約書の存在も念頭に「相撲協会から排除するべきではないか」という声まで出たということです。
據說,當時向相撲協會提交處分意見的合規委員會部分委員,考慮到成為親方時所簽署的誓約書,甚至提出了「是否應該將其從相撲協會排除」的聲音。
このあと、宮城野部屋は閉鎖され去年4月に親方や力士など部屋の全員が伊勢ヶ濱部屋に移籍しました。
之後,宮城野部屋被關閉,去年四月包括親方和力士在內的所有部屋成員都轉籍到伊勢之濱部屋。
元横綱・白鵬は部屋付きの親方として力士の指導を行う一方で、元横綱・旭富士の当時の伊勢ヶ濱親方から部屋の運営など師匠としての心構えを学び、毎場所ごとに、所属する伊勢ヶ濱一門の理事から相撲協会に、宮城野部屋から移籍した親方や力士の様子を報告することになっていました。
前橫綱白鵬一方面作為隸屬相撲部屋的親方指導力士,另一方面也從前橫綱旭富士、當時的伊勢之濱親方那裡學習作為師傅經營部屋等的心態。每一場所時,都需要向屬於伊勢之濱一門的理事報告從宮城野部屋轉籍過來的親方和力士的情況,並向相撲協會提交。
しかし、宮城野部屋の閉鎖から1年がたったことし3月の理事会でも部屋の再興についての協議はされませんでした。
然而,在宮城野部屋關閉一年後的今年三月理事會上,並未就部屋的重建進行討論。
夏場所中には、協会側と何度か話し合いを持ち、同じ伊勢ヶ濱一門内の別の部屋に移籍する案なども出ましたが折り合いはつきませんでした。
在夏季比賽期間,協會方面曾多次進行協商,也提出轉籍至同屬伊勢濱一門的其他相撲部屋等方案,但最終未能達成共識。
日本相撲協会は6月2日に元横綱・白鵬の退職と元横綱・照ノ富士が年寄・伊勢ヶ濱を襲名して伊勢ヶ濱部屋を継承すること、元横綱・旭富士が年寄・宮城野を襲名して、今後再雇用され伊勢ヶ濱部屋の部屋付きの親方として残ることを決めました。
日本相撲協會於6月2日決定,前橫綱白鵬退休,前橫綱照ノ富士將繼承年寄伊勢ヶ濱,並接管伊勢ヶ濱部屋;前橫綱旭富士則將繼承年寄宮城野,未來將再度受雇,作為伊勢ヶ濱部屋的部屋附親方繼續留任。
横綱経験者が相次ぎ協会を…
大相撲では横綱経験者が親方としての定年を待たずに日本相撲協会を去る例が相次いでいます。
橫綱經驗者接連離開協會……在大相撲界,橫綱經驗者未等到作為親方的退休年齡,就離開日本相撲協會的情況接連發生。
現役の豊昇龍と大の里を除いてことし1月に引退した照ノ富士までの直近10人の横綱のうち、半数を超える6人がすでに相撲協会を退職しました。
除了現役的豐昇龍和大之里之外,從今年一月退休的照之富士到最近的前十位橫綱中,已有超過一半、共六人已經離開相撲協會。
このうち、大相撲で、外国出身力士として史上初めて横綱となった第64代横綱の曙は引退後、東関部屋の部屋付きの親方として後進の指導にあたっていましたが平成15年に相撲協会を退職しその後、プロレスなどほかの格闘技に舞台を移して活動しました。
在這之中,大相撲史上首位成為橫綱的外國出身力士,第64代橫綱曙,在引退後,作為東關部屋的隸屬親方指導後進,不過於平成15年(2003年)從相撲協會退休,之後轉往職業摔角等其他格鬥技領域活動。
また、幕内で25回の優勝を果たした第68代横綱の朝青龍は、場所中に酒に酔って知人の男性に乱暴したとされる問題で、現役引退を表明し、親方として残ることができず相撲界を去りました。
此外,第68代橫綱朝青龍在幕內取得了25次優勝,但因為在比賽期間酒醉後對認識的男性動粗,最終宣布現役引退,並且無法以親方身份留下,離開了相撲界。
さらに、兄の第66代横綱・若乃花とともに「若貴フィーバー」と呼ばれる空前の相撲人気をつくり、22回の優勝を果たした第65代横綱の貴乃花は貴乃花一門を率いていましたが、平成29年に起きた元横綱・日馬富士から弟子への傷害事件を発端に相撲協会と対立し、翌年に退職しました。
此外,第65代橫綱貴乃花與兄長、第66代橫綱若乃花共同掀起了被稱為「若貴熱潮」的空前相撲人氣熱潮,並獲得了22次優勝。貴乃花曾率領貴乃花一門,但因平成29年發生了前橫綱日馬富士對弟子的傷害事件,與相撲協會產生對立,並於翌年辭職。
そして、今回は歴代最多優勝を誇る第69代横綱の白鵬が退職しました。
而這次,擁有歷代最多優勝紀錄的第69代橫綱白鵬退休了。
親方としては幕内の伯桜鵬やことし3月の春場所と5月の夏場所で2場所連続十両優勝を果たした草野を角界入りに導くなど後進の指導にも強い意欲を見せていました。
作為親方,他對於指導後進展現出強烈的熱忱,例如引領幕內的伯櫻鵬,以及在今年三月春場所和五月夏場所連續兩場所奪得十兩優勝的草野進入相撲界等。
相撲協会は実績や知名度に加え、豊富な経験をもとにした指導力も期待される横綱経験者という貴重な財産を再び失うことになりました。
相撲協會除了重視實績和知名度之外,還再次失去了以豐富經驗為基礎、具備指導能力的橫綱經驗者這項寶貴的資產。