このうち、妻の両親が被爆者だという長崎市の51歳の男性は「平和への意識が年々、希薄になっている気がします。平和の大切さをかみしめながら祈りをささげました。子どもたちにもこの日に何があったのか伝えていきたいと思います」と話していました。
曽祖母が被爆者だという30歳の男性は「曽祖母が生きていたころは原爆の恐ろしさについてよく話を聞きました。平和の尊さについて勉強して未来に語り継いでいきたいと思います」と話していました。
福岡県から家族で訪れた48歳の男性は「去年に続きこの日に長崎を訪れました。世界中が平和になり、核もこの世からなくなってほしいと祈りました」と話していました。
午前11時2分が近づくと平和公園の近くを走る路面電車の車内では「黙とうのため停車します」というアナウンスが流れ電車は一旦止まりました。 窓の外からサイレンが聞こえると乗客が静かに祈りをささげていました。 長崎市の被爆3世の女性は「きょうは原爆のことを改めて思い出す日にしたい。長崎以外では原爆を知らない若い人が増えているので、語り継いでいきたい」と話していました。 また、長崎県長与町に住む女性は「亡くなられた方を思って安らかに眠って欲しいという気持ちで祈った」と話していました。
このうち、4歳の子どもと訪れていた長崎市の30代の女性は「祖母が被爆者で後遺症で今でも苦しんでいる姿を見ていて、2度と同じ被害が起きないようにと願いをこめて黙とうをしました。いまは新型コロナで原爆資料館に行けませんが、祖母の体験を話すなど息子にも原爆の記憶を継承していきたいと思います」と話していました。
このうち、5歳の息子とともに黙とうした長崎市の40歳の女性は「息子には、たくさんの人が長崎で亡くなった日であることを伝えました。2度と戦争が起きないように、平和な世の中で子どもたちが生きていけるようにと祈りました」と話していました。 また福岡県から来た観光客の女性は「黙とうのサイレンの音が実際に使われることのない平和な世の中であってほしい」と話していました。
路面電車でも
繁華街では
観光名所の「眼鏡橋」でも