決勝では前半から伸びのある泳ぎで自己ベストを上回るペースで200メートルを2位で折り返しました。
その後も、滑らかな動きと持ち前の持久力でラスト50メートルもスピードを落とすことなく、そのまま2位でフィニッシュしました。
タイムは4分31秒69で、自身が持つ日本記録を1秒以上更新し、初めてのパラリンピックで銀メダルを獲得しました。
金メダルはオランダのロヒエル・ドルスマン選手、銅メダルは中国の華棟棟選手でした。
そして、自身が持つ日本記録とアジア記録を更新する泳ぎについて「ほかの選手たちも本当に力があって、すごく接戦になるだろうと思っていたので、メダルを獲得したいという一心で泳ぎました。目標であるアジア新記録とメダル獲得を達成できて本当にうれしい」と振り返っていました。
病気の進行によってできないことが増えていく中で、大学では「健常者として取り組める」と考えて競技ダンス部に入りました。全日本学生選手権にも出場するほど熱中した競技ダンスでしたが、視力の悪化によって続けることができなくなりました。 病気によって次々に大切なものを奪われても、富田選手は「自分にできることを必死に探してきた」と挑戦することだけはやめませんでした。 パラ競泳と出会ってプールに戻ってきたあとは、持ち前のテンポの速い泳ぎで頭角を現し、おととしの世界選手権ではこの種目で銀メダルを獲得しました。 東京大会に向けて、テンポを崩さず、ひとかきで進む距離を伸ばすという「非常に微妙なライン」の改善に取り組んできた富田選手は、大会直前になってそれが「形になってきた」と手応えを口にしていました。 1つのきっかけとなったのは池江璃花子選手の泳ぎです。富田選手は今、池江選手の泳ぎを見ることはできませんが、特徴を聞いて頭の中で描いたとき、自身が追い求めてきた泳ぎのヒントが見つかったといいます。 頭の中のイメージを実践することは簡単ではありません。それでも富田選手は、かつてダンスで磨いた「自分が目指している動作をイメージどおりにやる」という感覚によって、徐々に理想の泳ぎを身につけていきました。 肩周りの可動域を広げるトレーニングなど、地道な練習の積み重ねも助けとなり、初めてのパラリンピックで、自身最初の出場種目で銀メダルを獲得。 「使うはずだったエネルギーをほかの場所に振り向けることで必ず何かが手に入る」 32歳のあくなき挑戦が大舞台で実を結びました。
「アジア新記録とメダル獲得達成できてうれしい」
ダンスで磨いた感覚 理想の泳ぎ実現にも効果