昭和60年、日本航空のジャンボ機が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落し、520人が犠牲となった事故からきょう(12日)で35年になりました。
事故については、アメリカのメーカーの修理ミスによる圧力隔壁の破壊が主な原因だとする事故調査報告書が2年後の昭和62年に公表されました。
報告書の公表後、事故調査官らは調査の過程を振り返り今後に生かそうとおよそ100ページの手記をまとめていました。
手記は事故調査官かぎりの内部文書で、NHKは今回関係者から入手しました。
事故発生から2日で原因に迫っていた
今回入手した資料には当時、調査官が現場で何を思ったのか、調査報告書には記されない心情が記されています。
そこから事故原因に事故発生からわずか2日で迫っていたことがわかりました。
あわててはいけない
事故当時、次席調査官だった藤原洋さん(92)は8月12日の夜、事故の一報を自宅の電話で受けました。
藤原さんはあわててはいけないと自分に言い聞かせ最寄りの駅まで自転車を走らせて職場に向かったと記しています。
藤原さんが職場に到着すると、日航機が墜落し火災が発生していることは確認されていましたが、肝心の正確な場所がわかっていませんでした。
日本航空や当時の運輸省航空局は、断片的な情報で長野県に向かいますが、藤原さんたちは、山中の道路は限られ身動きが取れなくなることを予想し、墜落地点が判明するまで動かないという判断をします。
その結果、事故現場にいち早く駆けつけることができ、藤原さんは「やみくもに動かなかったことは正解だった」と振り返っています。
こんな現場は初めて
翌朝(13日)藤原さんたちは上空からヘリコプターで初めて現場を目のあたりにしました。
そのときのことについて調査官のひとりは「いろいろな事故を見てきたが、こんなに壊れかたがひどく、飛行機の形の残っていない事故現場は初めてだ」と率直に記していました。
極めて早く得た重大証言
生存者4人を発見したという情報が入ってきたときのことについては「すべての調査官にとって信じられない出来事であった」と記されていました。
藤原さんたちは直ちに調査官を病院に向かわせます。
向かった調査官の知り合いの先輩が偶然、病院に勤務していて、その日のうちに生存者に聴き取りができたといいます。
生存者は乗客として搭乗していた日本航空の客室乗務員で、証言内容は客室内の気圧が急激に下がる急減圧があったという、事故原因に直接つながる極めて重大なものでした。
このときのことについて「早い時点で重要な口述が得られたのは幸運であり、その後の調査の助けとなった。大きな成果であった」と記しています。
現場で得た重大な証拠
事故から2日目(14日)歩いて現場に入り、藤原さんは、バラバラになった翼の部材が突き刺さっている様子を目の当たりにし、「主翼のストリンガーが沢に突き刺さっている。異様な光景だ」とつづっています。このとき藤原さんたちは客室の中にある断熱材が水平尾翼の中に大量に入り込んでいるのを発見したということです。
藤原さんたちは急減圧があったという証言と客室の中にある断熱材が客室の外に飛び出していた状況から、客室内の気圧を保つ圧力隔壁と呼ばれる設備が破れた可能性があると推測しました。
2年後に公表される事故原因にわずか2日で迫っていたことがわかります。
究明しきれなかったことも
この事故は客室内の圧力を一定に保つ圧力隔壁が突然大きく壊れ、空気が客室後部に一気に吹き出したことで、垂直尾翼の半分以上が失われ操縦が困難な状況に陥ったというものです。
2年後、当時の航空事故調査委員会が事故調査報告書を公表し、事故の7年前に起きたしりもち事故の際に行われたアメリカのメーカーによる修理ミスが事故の主な原因とされました。
しかし修理ミスがなぜ起きたのかを調査することは、アメリカの協力が得られずできませんでした。
手記で藤原さんは修理ミスについて「どうしてこのよう非常識な接続方法にしてしまったのだろうか。技術者の常識からすれば『うっかり』の可能性が高いと推定したくなるが作業者自身でさえ覚えていないのではないだろうか」などと記しています。
藤原さんは「なぜ修理ミスをしたのか、アメリカ側に何回申し入れても最後まで回答がもらえず原因を究明できていない。それついて批判を受けてもしかたなく一生背負っていくことになると思う」と話していました。
元調査官「事故を忘れずに」
定年後も航空の安全に寄与しようと事故に関する講演を行ってきたほか、事故現場である御巣鷹の尾根に慰霊の登山を続けてきた藤原さん。
「たまたま、その時の私が事故調査の立場にいたということですが、人生にとっていちばん大きくショッキングな事故だった」「調査がどのように行われたのかその状況などを記したので内部文書としてきました。35年がたち、もし皆さんに役立つことがあれば公表してよいと考えました」と話しています。
そして「事故を忘れず初心にかえり、現在やっていることがベストなのか、常に反省しながら仕事をすることが大切です。今よりもっとよくする方法はないのか、もっと安全にできる方法があるはずだと考えれば、道は開けると思う」と述べ、安全のために関係者が努力し続けることの重要性を訴えていました。