「本田美奈子.ミュージアム」と名付けられた施設は本田さんの出身地、朝霞市の倉庫の一角にオープンし、本田さんの写真パネルやコンサートで使用した衣装など、およそ100点が展示されています。
このうち、ミュージカルを演じた帝国劇場の楽屋を再現したコーナーには、本田さんが実際に使用した化粧台や化粧道具、食器などが展示されています。
本田さんは空き時間に備え付けのキッチンで料理を手作りしては共演者を招いて会食を楽しんでいたということです。
千葉県から訪れた40代の女性は「嫌なことがあっても、本田美奈子.さんがいたから、頑張ることができました。これからも忘れません」と話していました。
本田さんが所属した芸能プロダクションの社長で施設を発案した高杉敬二さんは、「オープンを迎えて感無量です。このミュージアムで本田美奈子.を身近に感じてもらい、自分たちの青春時代を思い出してほしいです」と話していました。
施設は毎月第2土曜日と第2日曜日に開館し、入場料500円の一部は難病患者やその家族を支援する認定NPO法人に寄付されるということです。
本田美奈子.さんは歌手やミュージカル俳優として活躍しましたが、13年前の平成17年に急性骨髄性白血病のため、38歳で亡くなりました。
「本田美奈子.ミュージアム」と名付けられた施設は本田さんの出身地、朝霞市の倉庫の一角にオープンし、本田さんの写真パネルやコンサートで使用した衣装など、およそ100点が展示されています。
このうち、ミュージカルを演じた帝国劇場の楽屋を再現したコーナーには、本田さんが実際に使用した化粧台や化粧道具、食器などが展示されています。
本田さんは空き時間に備え付けのキッチンで料理を手作りしては共演者を招いて会食を楽しんでいたということです。
千葉県から訪れた40代の女性は「嫌なことがあっても、本田美奈子.さんがいたから、頑張ることができました。これからも忘れません」と話していました。
本田さんが所属した芸能プロダクションの社長で施設を発案した高杉敬二さんは、「オープンを迎えて感無量です。このミュージアムで本田美奈子.を身近に感じてもらい、自分たちの青春時代を思い出してほしいです」と話していました。
施設は毎月第2土曜日と第2日曜日に開館し、入場料500円の一部は難病患者やその家族を支援する認定NPO法人に寄付されるということです。