中満さんは28日夜「あす日本に行くので、東京からご自宅へ電話しようと思っていました。ただただショックです」と述べて、ことばを詰まらせました。
緒方さんの人柄については「難民という弱い人たちに常に寄り添っていく、そういう信念を貫かれた人だった。本当の意味でリーダーとはこういう人なんだろうと思っていた」と振り返りました。
また国連のグテーレス事務総長はみずからも難民高等弁務官を務め緒方さんと親交があったということで、「緒方さんの死を伝えると事務総長は悲しいことだと言っていました。日本に行くとよく、緒方さんに会いたいと話していました」と話していました。
そして「今、国連でグテーレス事務総長を補佐している人たちは私も含めて若い時に緒方さんの薫陶を受け、影響を受けながら育った。緒方さんの教え子が今、国連のいろいろなところで活躍している」と述べ、緒方さんの遺志を受け継いでいきたいと語っていました。
コソボ駐日大使「そばにいてくれた緒方さんを忘れない」
緒方さんは国連難民高等弁務官を務めていた1990年代後半、旧ユーゴスラビアのコソボ自治州で起きた激しい民族紛争で国を追われた数十万人の難民の保護と支援に当たりました。
緒方さんは当時、現地に足を運び、困難な立場にある人たちから直接、声を聞いて支援につなげたということで、その功績を評価され2017年にコソボの大統領勲章を受賞しています。
コソボのレオン・マラゾーグ駐日大使はその時に撮影した写真をツイッターに掲載し、「世界から緒方さんが失われたことを知り悲しみに暮れている。コソボは最も困難な時期にわれわれのそばにいてくれた緒方さんを忘れません。コソボは今、日本と一緒に緒方さんの死を悼んでいます」と追悼のメッセージを投稿しました。
上智大学「ご逝去を悼む」
緒方さんが一時期、教授を務めていた上智大学は緒方さんの死去について「緒方さんのご逝去を悼み謹んでお悔やみを申し上げますとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます」とコメントしています。
安倍首相「世界の平和や安定に多大な貢献 敬意と感謝」
安倍総理大臣は、哀悼の意を示すとともに、「世界の平和や安定に多大な貢献をされ、心からの敬意と深い感謝を表する」としたコメントを発表しました。
この中で、安倍総理大臣は「深い悲しみの念に堪えず、政府を代表して、謹んで哀悼の意を表する」としたうえで、「緒方氏は、『人間の安全保障』の理念を早くから提唱され、積極的に現場に足を運ぶ『現場主義』を徹底された。私もケニアを訪問した際、難民キャンプを案内していただいたことを鮮明に思い出す」としています。
また、「2002年には東京で開催されたアフガニスタン復興支援国際会議の共同議長を務められるなど、世界の平和や安定、発展に対し、長年にわたり多大な貢献をされた。在りし日のお姿をしのびつつ、改めて心からの敬意と深い感謝を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます」としています。
河野防衛相「大学の同窓生 非常に残念」
河野防衛大臣は、閣議のあとの記者会見で、「ジョージタウン大学の同窓ということで、勝手に親近感を抱いていたし、国連機関のトップをやられ、いろいろな方から、『緒方貞子はすごかった』という話を聞いた。かなりはっきり意見をおっしゃっていて、『さすがだな』と思ったこともあった。非常に残念で、ご冥福をお祈り申し上げたい」と述べました。
公明 山口代表「女性活躍のパイオニア」
公明党の山口代表は、記者団に対し「緒方さんはアフガニスタンの紛争後の対応で、平和の定着を主張し、いちばん最初に行うべきは地雷の除去だと位置づけたことを印象深く覚えている。女性活躍のパイオニアでもあり、多くの実績を残した。心からお悔やみを申し上げたい」と述べました。
明石元国連事務次長「国連で長く協力した相棒だった」
1990年代に緒方さんとともに活動した元国連事務次長の明石康さんは、「国連で長く協力した相棒だった。難民問題のトップとして国連を支えてくれた」と話し死を悼んでいました。
そして「日本は国際情勢に疎いと言われたが、緒方さんは傑出した日本人として非常にありがたく重要な存在だった。きちんとした思想的な基盤をもとに堂々と仕事をされ、大変立派な人だと今でも思っています」と話していました。
また、緒方さんとの思い出の一つとしてジュネーブの自宅に招待されたことをあげ、「家に招いていただいてしばらく食べていない日本料理をごちそうになった。当時の事が懐かしく思い出されます」と振り返っていました。