天皇てんのう皇后こうごうりょう陛下へいか きょう硫黄いおうとう訪問ほうもん戦後せんご80ねん戦没せんぼつしゃ慰霊いれい

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N2 Apr 7, 2025 04:04 57
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일본 신문
天皇てんのう皇后こうごうりょう陛下へいかは7にち太平洋たいへいよう戦争せんそう末期まっき激戦げきせん小笠原おがさわら諸島しょとう硫黄いおうとう訪問ほうもんし、戦後せんご80ねんに当にあたって戦没せんぼつしゃ慰霊いれいされます。

硫黄いおうとう太平洋たいへいよう戦争せんそうちゅう国内こくないでは沖縄おきなわとともにはげしい地上ちじょうせんおこなわれたしまで、日本にっぽんがわはおよそ2まん1900にん戦死せんしし、アメリカがわもおよそ6800にん戦死せんししました。

それから80ねん

りょう陛下へいかは、政府せいふ専用せんよう羽田はた空港くうこう出発しゅっぱつして、午後ごごおよそ1200キロはなれた硫黄いおうとうはじめて訪問ほうもんされます。

そして上皇じょうこう夫妻ふさい戦後せんご50ねん翌年よくねんひかえた平成へいせい6ねんたずねられたきゅう日本にっぽんぐん戦没せんぼつしゃ慰霊いれいにちべいりょうぐん犠牲ぎせいしゃ慰霊いれいで、はなそなえたあとすいをかけて火山かざんとう激戦げきせんかわくるしんだ犠牲ぎせいしゃれいなぐさめられます。

硫黄いおうとうでは戦時せんじ島民とうみんほとんど強制きょうせいてき疎開そかいさせられましたが、軍属ぐんぞくとして徴用ちょうようされるなどした男性だんせいおよそ100にんのこ守備しゅびたい運命うんめいをともにしていて、りょう陛下へいかは、戦闘せんとういのちとした島民とうみんなどの慰霊いれいとうてられている墓地ぼち公園こうえんたずねてはなそなえて拝礼はいれいされます。

さらに、自衛隊じえいたい基地きちきゅう日本にっぽんぐん戦没せんぼつしゃ遺族いぞくもと島民とうみん子孫しそんらの団体だんたい関係かんけいしゃ懇談こんだんし、よる皇居こうきょもどられます。

ことしは戦没せんぼつしゃ慰霊いれいなどのため、広島ひろしま長崎ながさき沖縄おきなわ訪問ほうもんする見通みとおで、7にちは、戦後せんご80ねんに当にあたってさき大戦たいせん象徴しょうちょうてき地域ちいきめぐられるなか最初さいしょ訪問ほうもんとなります。

守備しゅびたい司令しれいかんまごつたえていかなければ”

りょう陛下へいか今回こんかい訪問ほうもんに、戦没せんぼつしゃ遺族いぞく特別とくべつおもせています。

その1にん東京とうきょう 昭島あきしま栗林くりばやしかいえださん(66)は、陸軍りくぐん中将ちゅうじょうとして硫黄いおうとう守備しゅびたいひきいてたたか壮烈そうれつ最期さいごげた栗林くりばやしただしどうさんのまごです。

栗林くりばやし中将ちゅうじょうは、守備しゅびたい司令しれいかんとして硫黄いおうとう赴任ふにんした昭和しょうわ19ねん6つきから連絡れんらく途絶とだえるまでの8か月かげつかんいちしまことはなく、この間このかん本土ほんど家族かぞく手紙てがみおくつづけていました。

祖母そぼちちから受け継うけつ大切たいせつ保管ほかんしている41つう手紙てがみうち最初さいしょ手紙てがみには、他人たにんせたりしゃべったりしてはならないと前置まえおしたあと、高温こうおん多湿たしつみず食料しょくりょうとぼしいしまでの過酷かこく生活せいかつについて「不毛ふもう原野げんや穴居けっきょ生活せいかつしているわけで、かんがさまっては地獄じごく生活せいかつまれて以来いらいはじめてです」などしるされています。

また硫黄いおうとうてきられれば本土ほんど空襲くうしゅうされるため、自分じぶん部下ぶか生還せいかんせずそよとしたうえで、のこされる妻子さいし気遣きづかことばがつづられています。

祖母そぼちち生前せいぜん戦争せんそう栗林くりばやし中将ちゅうじょうについてかたことはほとんどなかったということで、かいえださんは「2にんともつらかったので、あえてはなさなかったのだとおもいます。

ただ小笠原おがさわら諸島しょとう返還へんかんされたとき祖父そふが『いまかえったよ』とって枕元まくらもとっていたと祖母そぼはなしていたのは鮮明せんめいおぼえています」と振り返ふりかえります。

アメリカぐん上陸じょうりくひと月ひとつきほどまえ日付ひづけ手紙てがみには「遺骨いこつかえらぬだろうから」などかれていましたが、祖母そぼりつぶしてしまったため、父親ちちおやがのちに読み取よみとって書き添かきそえたということで、かいえださんは「というのはもちろんかなしいことだが、んだのち遺骨いこつかえらないというのは2じゅう3じゅうにつらいおもをしたのだとおもいます。

半数はんすうに当にあたる1まんにん以上いじょう遺骨いこつ本土ほんどもどれていないので、滑走かっそうしたをどうするかなど大変たいへんなこともあるおもいますが、1にんでもおおかえってきてほしいとつよおもっています」とかたりました。

そのうえで、今回こんかいりょう陛下へいか訪問ほうもんについて「大変たいへん激戦げきせんなかくなられた方々かたがた供養くようなるかんじます英霊えいれいみなさんやすらかねむいただきますようこころからいのっていただければありがたいとおもいます。

とにかく戦争せんそうをしてはいけないということをつたえていかなければならない。自分じぶんふくめた戦争せんそうらない世代せだいに、戦争せんそう絶対ぜったいにしてはいけないのだという気持きもになってもらいたいです」とはなしていました。
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