太平洋戦争中、
沖縄から
疎開する
子どもたちを
乗せた
学童疎開船「
対馬丸」が
アメリカ軍に
撃沈されてから22
日で76
年となり、
遺族や
生存者が
参列して
慰霊祭が
行われました。「
対馬丸」は
昭和19
年8
月22
日、
沖縄から
疎開する
子どもたち
などを
乗せて
長崎に
向かう途中、
鹿児島の
沖合で
アメリカ軍の
潜水艦に
撃沈され、1484
人が
犠牲となりました。
22日で76年となるのに合わせて、那覇市にある慰霊塔の前で慰霊祭が行われました。
新型コロナウイルスの影響で例年より規模を縮小して行われ、遺族や生存者などの参列者は全員で黙とうしたあと、慰霊塔に向かって手を合わせ、犠牲者を悼んでいました。
母と姉を亡くし、自身も「対馬丸」に乗船していた照屋恒さん(80)は「亡くなった方は、ずっと昔の年齢のままです。これからも戦争のない世界が続いてほしいです」と話していました。
姉を亡くした津波古敏子さん(88)は「私も対馬丸に乗る予定でした。結局姉だけが乗船し、亡くなりました。安らかに見守っていてくださいとお祈りました」と話していました。
広島でも慰霊祭
子どもたちを守るため「対馬丸」に一緒に乗り込んでいた旧日本軍部隊の司令部があった広島市でも、同じ時間帯に、那覇市とオンラインでつないで慰霊祭が行われました。
ことしは新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため出席者が限定され、15人が出席しました。
同級生を亡くし、いまは広島市内に住む梅本テル子さん(84)が「対馬丸に乗っていたら運命をともにしていたかもしれない。戦争が起こらないよう、しっかりと見守っていく」と弔辞を述べました。
出席者は順番に慰霊碑に線香を供えて手をあわせ、祈りをささげていました。
父を亡くした広島市中区の北口清子さん(77)は「父は無念の死を遂げた。これからも毎年お参りして、戦争のない平和な世界を願いたい」と話していました。