政権交代で
建設が
一時中断する
などした
群馬県長野原町の「
八ッ
場(やんば)
ダム」が
構想から
およそ70
年を
経て
この春、
完成する
見通しです。「
八ッ
場ダム」は
昭和22
年のカスリーン
台風で
利根川の
堤防が
決壊し、
およそ1100
人が
犠牲となったことから、
東京や
千葉、
埼玉など1都5県の
治水などの
目的で
国が
建設を
進めています。
昭和27年に建設構想が伝えられると、地元の長野原町では建設の是非をめぐって町を二分する対立が起こり、平成21年には当時の民主党政権が「コンクリートから人へ」をスローガンに建設を一時中断するなど、混乱が続きました。
この間、総工費は国内のダムとしては過去最高の5320億円にまで膨れ上がり、水没地域の住民の移住や鉄道や道路の付け替えなど「生活再建事業」も行われていますが、移住対象の住民470世帯のうち町内の代替地に残ったのはわずか96世帯で、かつて20軒余りあった地元の川原湯温泉の旅館も代替地で営業を再開したのは5軒にとどまっています。
国土交通省によりますと、ダムはことし3月に完成し、4月から運用が開始される見通しですが、住民の生活再建や町の活性化をどう進めるかが大きな課題となっています。
国土交通省八ッ場ダム工事事務所は「ダムの安全性の確認を最後まで気を抜かずに実施し、住民の生活再建事業もしっかり進めていきたい」としています。