文豪・
夏目漱石が
旧制第一高等中学校に
通っていた
時の
成績を
記録した
手帳が
福井県内で
見つかりました。
漱石自身の
学業に関する
資料が
発見されるのは
珍しく、
専門家は「
大変優秀で、
勉学に
励んだことがうかがえる
貴重な
資料だ」と
話しています。
福井県によりますと、
手帳は
漱石が
通っていた
東京の
旧制第一高等中学校で
教べんを
執っていた
越前市出身の
哲学者、
松本源太郎が
書き記したもので、
去年11
月、
松本の
ひ孫が
越前市の
図書館に
寄託した
資料の
中から
見つかったということです。
松本が教えていた「論理学」の成績が生徒ごとに記録されていて、漱石の本名である「夏目金之助」の欄には1学期が80点、2学期が90点と書き記されています。
また、別のページには漱石と同級生だった俳人・正岡子規の成績も記され、こちらは1学期が74点、2学期が82点となっています。
3学期は松本がイギリスへ留学したため空欄となっていました。
手帳には明治21年から22年にかけて在籍していた30人余りの生徒の成績が記され、漱石の成績は1学期と2学期を合わせるとトップだったということです。
福井県によりますと、漱石自身の学業に関する資料が発見されるのは珍しく、成績を記録した手帳の発見は初めてだということです。
漱石は当時20代前半で、内容を分析した早稲田大学の中島国彦名誉教授は「点をみると大変優秀で、勉学に励んだことがうかがえる。後に各界で活躍する学友との交友を通して漱石が成長していったことが感じられる貴重な資料だ」と話しています。
手帳は今月10日から20日まで福井市の「県立こども歴史文化館」で、今月25日から来月24日まで越前市の「武生公会堂記念館」で公開される予定です。
日記44冊も 漱石との交流記す
今回の調査では、松本源太郎が明治から大正時代にかけて書いた44冊の日記も見つかりました。
この中では、熊本の旧制第五高等学校に教頭として着任した松本が、英語担当の教授となっていた教え子の漱石と再会し、日々、会話を交わすなど、親しく交流を続ける様子が具体的に書き残されています。
日記は今も分析中で、今回の発見をきっかけに熊本にいた時の漱石の実像に迫る研究が進むのではないかと関係者から期待が寄せられています。
調査にあたった福井県立こども歴史文化館の笠松雅弘館長は「これだけ貴重な資料が福井にあることが分かり、驚きました。見つかった資料が今後の漱石研究などにどう生かされるのか楽しみにしています」と話していました。