神社によりますと、これをきっかけに参拝者が急増したということで、28日も多くの人が訪れていました。
活動休止についてファンの女性は「かみしめながら境内を回りました。気持ちの整理がつきません」と話していました。
神社の保田健一事務局長は「大変残念ですが嵐の永遠の聖地として残ることはありがたいと思います」と話していました。
福津市広報秘書課の藤井雄一主幹は「嵐の皆さんには感謝しています。これからの活躍を期待しています」と話していました。
嵐メンバーが先月訪れた福島県飯舘村では
「嵐」のメンバーが、先月訪れた福島県飯舘村では、5人への感謝や今後の活動への期待の声が聞かれました。
嵐の5人はNHKの紅白歌合戦の中で原発事故からの復興の現状を伝えるために先月、福島県飯舘村を訪れていました。
5人が食事をしたうどん店「ゑびす庵」は、避難指示が解除されたおととし春に営業を再開しました。「ゑびす庵」を経営する高橋義治さんは「発表を聞いて驚きました。うどんを『おいしい』と言って食べてくれて、気さくで接しやすかったのが印象に残っています。これからはそれぞれの道を進んでいってほしいです」と話していました。
また、花き農家・高橋日出夫さんの農業用ハウスでは大野智さんと松本潤さんが花の収穫を体験しました。
高橋日出夫さんは「2人に収穫してもらった花は宝物として家に飾っています。活動休止まで体に気を付けてできるだけ多くの人たちにパフォーマンスを見せてほしいです」と話していました。
高橋さん夫婦はそれ以来、嵐の曲を聞きながら農作業をしているそうで、妻の民さんは「『ふるさと』という曲が特に好きで、訪問してくれたことを思い出して『がんばろう』という気持ちになります。『お疲れ様、ありがとう』と伝えたいです」と話していました。
原宿 竹下通りでは好意的な受け止め
ジャニーズの人気アイドルグループの「嵐」の活動休止発表から一夜明け、多くのファンが集まる東京 原宿の竹下通りでも、さまざまな声が聞かれました。
9年間、「嵐」のファンを続けているという21歳女性は「休止と聞いたときは信じられませんでした。でも、会見を見ると、重たい感じではなくて、嵐5人が笑っていたので、私の好きな『嵐』だなと思いました。残りの2年間も全力でファンに向かってきてくれるので、私たちファンも全力で向かっていきたいと思います。待っているので絶対に戻ってきてほしいです」と話していました。
家族で「嵐」の曲をよく聴いていたという、川崎市の38歳女性は「休止を決めたのは、よっぽどの覚悟なんだろうなと感じました。子どもたちと一緒に聞いていて、思い出のある曲ばかりです。休止という、また出てくる可能性を残してくれた『嵐』に感謝しています」と話していました。
また、17歳の女子高校生は「会見を見ると、メンバーの絆が見え、休止になってもメンバーどうしが仲いいままなんだなと思うとうれしく思います」と話したうえで、「これまでずっと頑張ってきてくれたので、残りの2年間は焦らず頑張りすぎず、ファンのみんなと楽しんでくれたらいいなと思います」と話していました。
病床で励まされた女性は…
重い病気になった時、人気アイドルグループ「嵐」の曲を聞いて、闘病を乗り越えたという埼玉県の女性は「きのうは活動休止を聞いた後、ずっと泣いていました。嵐がいたから私も頑張れたと思います。本当に感謝しています」と話していました。
10年以上前から「嵐」の大ファンだという埼玉県川口市の布施田祥子さん(43)は8年前、長女を出産した8日後に脳出血と脳梗塞を併発して意識不明になりました。
布施田さんの夫は、ICU=集中治療室で治療を受ける布施田さんの耳元で「嵐」の曲を流し続け、その2週間後、布施田さんは意識を取り戻したということです。
そのあとは、5か月後の「嵐」のライブに行くことを励みに「嵐」の曲を聞きながら熱心にリハビリを続け、左の手足にまひが残るものの、今は、足に障害のある人もおしゃれを楽しめる靴の受注販売を始めています。
8年前に出産し、小学1年生になった長女の稟さんも布施田さんと同様、「嵐」の大ファンです。嵐が活動休止を発表したことについて、布施田さんは「きのうは発表を聞いた後、ずっと泣いていました。ただ、活動休止の理由を聞いて、仲間やファンを大事にする嵐らしいと思いました。闘病中は嵐がいたから、私も頑張れたと思います。本当に感謝しています」と話していました。