線路沿いの道路では、近所の人などが立ち止まって、黙とうをささげていました。
一方、おととしまでは、電車が現場を通過する際に、警笛を鳴らし、亡くなった人たちへの哀悼の意を表してきましたが、去年に続き警笛を鳴らしませんでした。
これについてJR西日本は、「厳粛に追悼する環境を作るため」としています。
そして、電車が現場付近に近づくと速度が落とされた車内では、乗客たちが静かに手を合わせていました。
また、昌毅さんの弟の篤史さん(31)は「もう16年たつが、『兄ちゃんが生きてたらな』という気持ちは変わらない。『がんばって生きてるよ、これからもそばで見守ってね』と報告した。コロナの中でも現場に来られてよかったと思う」と話していました。
近所に住む46歳の男性は、妻や子ども3人と献花に訪れ、「事故当時から近くに住んでいて、とてもショックを受けたことを覚えています。私は事故の当事者ではないのでこれまでは来てもいいのかなと思っていましたが、子どもが中学校で事故のことを学んで、自分も遺族の方の手紙を読む機会があり、きょう献花に来るきっかけとなりました。亡くなられた方の分も私たちが精いっぱい毎日、生きなければいけないと思いながら、祈りをささげました」と話していました。
安さんは「息子を思う気持ちは16年変わっていません。1年1年、老いることにはあらがいがたく、私もいつ亡くなるか分かりませんが事故のことを語り継いでいってほしい」と話していました。 また、登喜子さんは、「英也のことは常に忘れていません。たまに『いってくるよ』とか、ことばをかけたりもしています。JR西日本の社員は事故を胸におさめて、研修に生かしてほしい」と話していました。
またJR西日本に対して、「新型コロナの感染で経営的に大変な局面を迎える中、再発防止のためにどのように安全性を保つかなど事故の被害者と一緒になって考えていってほしい」と要望しました。
事故で大けがをした伊丹市の増田和代さん(51)は去年に続いて新型コロナウイルスの影響で慰霊式などの追悼行事が中止されるなか、事故の記憶を風化させたくないとことしも独自で行事を行うことにしました。 増田さんの友人など合わせて6人がJR伊丹駅前に集まり、事故が起きた午前9時18分、手を合わせて黙とうしました。 そして駅前広場にある鐘が鳴る中、「コロナ禍で16年になりましたが、天国の皆さんに届きますように」という掛け声とともに、メッセージが書かれた風船を一斉に空に放ちました。 風船にはそれぞれ、「事故のことは忘れない」や「安全な社会へ」などと書き込まれています。 増田さんは「私たちのような事故の被害者で生き残っている人たちは、風化させてはならないという使命を持っている。JRを利用している方々に少しでも事故のことを思い出してもらいたい」と話していました。
通過した電車の車内では黙とう
現場で追悼した遺族の上田弘志さんは…
事故現場近くに住む人も祈りささげる
自宅で追悼の祈りささげる遺族
長女を亡くした藤崎光子さん
次女が大けが 三井ハルコさん
兵庫 伊丹駅の前では風船飛ばし犠牲者を追悼