日本人として
初めてUNHCR=
国連難民高等弁務官事務所の
高等弁務官を
務めた
緒方貞子さんが
亡くなりました。92
歳でした。
難民など困難な
状況に
ある人々の
保護と
支援に
尽くした
緒方さんの
死に
世界各地から
追悼の
声が
寄せられています。
緒方さんは
昭和2年に
東京で
生まれ、
外交官の
父親の
転勤で
幼少期を
海外で
過ごしたあと、
聖心女子大学を
卒業して
アメリカの
大学や
大学院で
学びました。
その後、日本の大学で教べんを取っていた際に国連の代表団に加わり、昭和51年に日本人の女性として初めて日本の国連公使になり、平成3年から平成12年までの10年間は、日本人として初めてUNHCR=国連難民高等弁務官事務所の高等弁務官を務めました。
緒方さんの在任中は旧ユーゴスラビアやアフリカのルワンダなど世界各地で内戦や民族紛争、虐殺が相次いで大量の難民が発生し、緒方さんはみずから直接、現場に足を運んで支援の陣頭指揮に当たりました。
さらにUNHCRとして国外に逃れた難民だけでなく、国内で行き場を失った国内避難民も保護の対象とするという新たな方針を打ち出し、世界各地で困難な状況にある人々を国際社会全体で直接、保護すべきだと訴え続けました。
こうした緒方さんの訴えは従来の国家主体の安全保障という概念から人間一人一人の安全の確保を中心に据える「人間の安全保障」という理念に結実し、2001年には国連に「人間の安全保障委員会」が設立されて緒方さんみずからが共同議長を務めました。
緒方さんはその後もさまざまな立場から生涯にわたって紛争や貧困などの困難に直面する人々の支援に尽くしました。
緒方さんは先月、92歳になったばかりで、緒方さんをよく知る国連の軍縮部門の中満泉事務次長は「ただただショックです。いちばん弱い立場の人たちに常に寄り添った真のリーダーでした」と、その死を悼んでいました。
河野防衛相「大学の同窓生 非常に残念」
河野防衛大臣は、閣議のあとの記者会見で、「ジョージタウン大学の同窓ということで、勝手に親近感を抱いていたし、国連機関のトップをやられ、いろいろな方から、『緒方貞子はすごかった』という話を聞いた。かなりはっきり意見をおっしゃっていて、『さすがだな』と思ったこともあった。非常に残念で、ご冥福をお祈り申し上げたい」と述べました。