内村選手は6種目で争う個人総合で2大会連続の金メダルを獲得したリオデジャネイロオリンピックのあと、日本で開催される東京オリンピックを「人生最大の目標だ」と語っていました。
競技生活の集大成として目指しましたが、その後は苦難の道をたどりました。
2017年の世界選手権で跳馬で足首を痛めて棄権して、大会6連覇が途絶えると、それまで圧倒的な演技を支えてきた肉体は悲鳴をあげはじめました。
2019年の全日本選手権は肩の痛みで本来の演技ができず、予選敗退に終わりました。
その大会のあと、内村選手は「東京オリンピックは夢物語だ」と下を向きましたが、1つ年下の佐藤寛朗コーチとの二人三脚でけがの治療やリハビリを続けながら、4回目のオリンピック出場を目指して練習を積みました。
そして、去年2月、かねてから「体操は6種目やってこそ」と個人総合に大きなプライドを持っていた内村選手は「もう自分だけの夢ではない。オリンピックに出るためなら自分のプライドはいらない」と、比較的体の痛みが少ない鉄棒に絞って、種目別での出場にかけることを決めました。
その後は、世界でも数人しかできないH難度の大技「ブレットシュナイダー」を演技に組み込むなど、鉄棒に専念したことでさらに磨きをかけて、ことし6月まで行われた代表選考会では、すべて15点台の圧倒的な得点をマークして、4回目のオリンピック出場を決めていました。
その代表選考会では、どんな高得点を出しても「満足な演技ができない」と、着地したあとに不満そうな表情を見せるなど、さらに高みを目指す姿勢を見せていました。
さらに先月代表を決めたあとは、東京オリンピックについて「生まれた国で行われる大会で1年延期したオリンピック。特別としか言いようがない」と自身の胸にある特別な思いを口にしていました。
そして、オリンピックの目標について「とにかく笑っていたい。鉄棒の演技の最後に着地したあと、笑っていたいです」と、改めて自身が満足のいく演技をすることを目指していました。