太平洋戦争中は森光子さんらと旧日本軍の慰問活動を行い、戦後、本格的に女優として活動して数々の映画や舞台に出演しました。
昭和47年にはNHKの連続テレビ小説「藍より青く」でヒロインのしゅうとめの役を演じて人気を集めたほか、「おしん」では主人公のおしんを支える心優しい女性を演じました。
また「3年B組金八先生」での校長や「渡る世間は鬼ばかり」でのしゅうとめの役など、数々の人気ドラマで厳しくも温かい役柄を演じ、ホームドラマに欠かせない存在として幅広い世代から親しまれました。
舞台でも、森繁久彌さん率いる「森繁劇団」の常連の出演者として知られたほか、親友の森光子さんが主演した「おもろい女」など、ロングラン興行の名作舞台に数多く出演しました。
平成5年に紫綬褒章、平成10年には勲四等宝冠章を受章しています。
赤木さんは87歳になった平成23年に「体力があるうちに舞台の仕事に区切りをつけたい」として、東京・明治座での公演を最後に舞台の活動を引退しました。
その後、平成25年に公開された映画「ペコロスの母に会いに行く」では88歳で撮影に臨み、世界最高齢で映画に初主演した女優としてギネス世界記録に認定されました。
関係者によりますと、赤木さんは3年前に自宅で転倒して大たい骨を骨折し、さらにパーキンソン病を患うなど療養を続けていましたが、29日午前5時すぎ、心不全のため東京都内の病院で亡くなったということです。
角野卓三さん「本当の母親のような存在」
赤木春恵さんが出演していた民放のドラマ、「渡る世間は鬼ばかり」で長年、赤木さんの息子役を演じた俳優の角野卓造さんは「本当の母親のような存在でした。TVはもちろん、舞台の時にはいつも赤木ママの楽屋でご飯を食べさせてもらったり、優しく気にかけてくださいました。できの悪い息子で申し訳ありませんでした。心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントしています。
藤田朋子さん「いかに長く演じられるか伝えてくれた」
赤木春恵さんが亡くなったことを受けて、民放のドラマ「渡る世間は鬼ばかり」で共演していた俳優の藤田朋子さんは「かわいらしく、美しい女優さんとしての思い出が残る、赤木さん…いかに長く演じ続けられるのかを、その生き方で伝えてくださった。ありがとうございました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます」とコメントしています。