3日、東京 港区の青山葬儀所で「内田裕也Rock’nRoll葬」と銘打たれたお別れの会が開かれ、親交のあった人などおよそ1300人が参列しました。
弔辞では、親交の深かった堺正章さんが「私たち後輩にとってよき手本でもあり、あしき手本でもありました。そのあしき手本の中にあなたの魅力が詰まっていました。天国で奥様と会って、今まで埋められなかった時間を埋めてください」と、去年亡くなった妻の樹木希林さんのことに触れながら、別れのことばを述べました。
また、内田さんのロックフェスティバルに毎年出演していたミュージシャンの鮎川誠さんは「日本の第1号のロックンローラーで、裕也さんこそが日本のロックヒストリーやった。裕也さんのスピリットは、裕也さんを目指した日本のロックバンドのみんなが共有して、俺たち生きとる間はロックンロールやります。ありがとう!」と、感謝の思いを述べていました。
最後に、喪主で長女の内田也哉子さんがあいさつし、生前に樹木さんが口にしていたという「こんなにわかりにくくて、こんなにわかりやすい人はいない」ということばを紹介しながら、親でありながら同じ時間を過ごすことのなかった父への複雑な思いを語ったうえで、「最後は、彼らしく送りたいと思います。ドント・レスト・イン・ピース。ジャスト・ロックンロール」と別れのことばを送っていました。
本木雅弘さん「永遠の憧れ」
義理の息子の本木雅弘さんは「“予定不調和”に生きてきた裕也さんですから、滞りなくこの会が終わり、奇跡的だと思っています。樹木さん同様、差別のない人で立場・国籍を超えていける人でした。裕也さんや先日亡くなった萩原健一さんのような人は永遠の憧れで、ずっと遠くにいるような存在です」と、その人柄をしのんでいました。
尾藤イサオさん「思いを継ぐ」
昭和41年のビートルズの来日公演で内田裕也さんと共に前座を務めた歌手の尾藤イサオさんは「武道館で一緒に前座をやったとき、裕也さんは最後まで『俺は前座じゃない、共演してやったんだ』と言っていたのを思い出します。裕也さんの思いを継いで、僕もこれからもロックンロールをやり続けます」と話していました。
崔洋一さん「“荒ぶる魂”がふさわしい」
弔辞を読んだ1人で映画監督の崔洋一さんは「何よりも若い人たちに裕也さんの若いときの音楽を聞いてほしい。本当にすばらしいです。先駆者としての裕也さんの仕事は本当にリスペクトしています。また、映画では、既存のプロデューサーや監督が思いつかないような石を投げていました」と話していました。
そのうえで、「あとに残ったわれわれが内田裕也さんを思うとき、人としての優しさや厳しさはありますが、彼の揺るがないソウル、“荒ぶる魂”というのが僕にとってはいちばんふさわしい」と内田さんをしのんでいました。
DJ KOOさん「心からリスペクト」
親交のあったDJ KOOさんは「日本の音楽史にとって偉大なかたで、心からリスペクトしています。初めてあいさつに行った時、サングラスを取ろうとしたら『いいよいいよ、お前ミュージシャンなんだから、そのままでいいよ。サングラス取るなよ』とすごく温かく、よくしていただいた。僕も違った形ではありますが、ロックンロール魂を受け継いでしっかりと頑張っていきたいと思いました」と話していました。