記念館は、息子の大毅さんがインターネットの「クラウドファンディング」で寄付を集めるなどして、JR広島駅からマツダスタジアムに通じる通称「カープロード」沿いにオープンさせました。
初日の30日はファンなどおよそ150人が集まり、大毅さんが「父は短い生涯で展示は多くはないが生きた証しが詰まっている。カープファン、津田ファンの憩いの場となってほしい」とあいさつしました。
記念館には、津田さんのユニフォームやトロフィーのほか、座右の銘「弱気は最大の敵」と書かれた直筆のボールなど、およそ100点が展示され、訪れた人たちはじっくりと見て回っていました。
広島市の40代の男性は「真っ向勝負にいつも励まされていました。記念館が完成してうれしいです」と話していました。
津田恒実さんとは
津田恒実さんは山口県出身で、昭和57年にドラフト1位で広島に入団し、1年目から11勝を挙げて、新人王を獲得しました。
その後は故障に苦しみましたが、5年目の昭和61年に抑えへ転向すると、22セーブを挙げてチームのリーグ優勝に貢献し、持ち前の速球で真っ向勝負を挑むピッチングスタイルから「炎のストッパー」と呼ばれるようになりました。
平成元年には、12勝28セーブの成績で最優秀救援投手に輝くなど活躍を続け、平成3年に引退するまでの10シーズンで、通算49勝90セーブの成績を残し、多くのファンに親しまれました。
脳腫瘍のため、平成5年に32歳の若さで亡くなりましたが、平成24年には、野球界の発展に大きな功績を残した人をたたえる野球殿堂入りを果たしています。
北別府さん「自分を鬼にして臨む」
30日、津田恒実さんの記念館には広島のエースとして通算213勝を挙げ、津田さんとともに平成24年に野球殿堂入りした、北別府学さんも訪れました。
北別府さんは、津田さんとの思い出について「ふだんは明るく、優しいところがあったが、試合になると人を寄せつけず、自分を鬼にして臨むところがあった」と振り返りました。
そのうえで「ぜひ多くの人に来てもらい、津田の思い出を見てほしい。特に津田を知らない若い世代、広島県外の人に見てもらいたい」と話していました。