IAEAによりますと、この手紙の中で天野事務局長は「平和と発展の原子力という目標を達成するためにIAEAは確かな結果を残してきた」と記していたということです。
天野氏は世界で唯一の被爆国である日本の出身であることを強調し、日本が原子力の平和利用を進めてきたことを各国に訴え、2009年12月、日本人としては初めて、IAEAの事務局長に就任しました。
2013年と2017年にはIAEAの理事会でそれぞれ全会一致で再任が決まり、現在、3期目、任期は2021年までとなっていました。
天野氏は2011年に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて原発の安全強化の対策を進めてきたほか、イランの核開発問題をめぐり2015年に妥結した核合意を受けて核施設への査察など核開発を制限する取り組みの検証などを指揮してきました。
また、北朝鮮についても専門のチームを設けて現地での査察の再開に向けた準備を進めていて、ことし4月、NHKのインタビューの中で「しっかりとした査察はその取り決めが長く続くことを意味するので、北朝鮮にも関係国にも国際社会全体にも利益になる。関係国で同意ができたときは、IAEAはすぐ行けるように準備を進めている」と話していました。
一方、天野氏は去年から体調を崩していて、治療を受けるために理事会を欠席するなど、関係者の間では健康不安が指摘されてきました。
天野事務局長とは
天野之弥事務局長は、神奈川県出身で1947年生まれの72歳。東京大学法学部を卒業後、1972年に外務省に入省して軍縮分野での担当を歴任し、ウィーン国際機関代表部でIAEAの担当大使を務めました。
その後、当時のエルバラダイ事務局長の後任を選ぶ選挙に立候補し、天野氏は世界で唯一の被爆国である日本の出身であることを強調し、日本が原子力の平和利用を進めてきたことを各国に訴え、2009年12月、日本人としては初めて、IAEAの事務局長に就任しました。
2013年と2017年には、IAEAの理事会でそれぞれ全会一致で再任が決まり、現在3期目、任期は2021年までとなっています。
天野氏は、2011年に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、現地を訪れて原子炉の冷却作業や収束に向けて日本が示した行程表の進捗状況を視察するなど、原発の安全強化の対策にも尽力しました。
またイランの核開発問題をめぐり、2015年に妥結した核合意を受けて、核施設への査察など核開発を制限する取り組みの検証などを指揮してきました。
また、北朝鮮についても専門のチームを設けて、現地での査察の再開に向けた準備を進めていて、ことし4月、NHKのインタビューの中で、「しっかりとした査察は、その取り決めが長く続くことを意味するので、北朝鮮にも関係国にも国際社会全体にも利益になる。関係国で同意ができたときは、IAEAはすぐ行けるように準備を進めている」と話していました。
一方、天野氏は、去年から体調を崩していて、治療を受けるために理事会を欠席するなど、関係者の間では、健康不安が指摘されてきました。