NHKの高柳と申します。きょうはよろしくお願いします。
(五郎丸)
静岡ブルーレヴズの五郎丸です。よろしくお願いします。
(高柳)
もう相当な数の名刺を配られたのでは?
(五郎丸)
相当行きましたね。静岡県内は特に。
(高柳)
配られたのは何枚くらい?
(五郎丸)
いや、もう2箱3箱くらいなくなりましたんで、かなりの数を回っていますね。
(高柳)
久しぶりにスタジアムにいらっしゃると、プレーしたいなと思いますか?
(五郎丸)
全然思わないです。もう。
(高柳)
思わない?
(五郎丸)
引退したらやりたいと思わないですね。だから、逆に、このスタジアムに本当にお世話になってきましたし、これから違う立場でこのスタジアムを楽しませる空間にするために、チケットだとか、試合当日の演出だとか含めて、いますごいいろいろ調整をさせていただいてます。
(高柳)
何でこのタイミングで引退されたのでしょうか。
(五郎丸)
まあ35歳かな、と自分の中のイメージでありましたし、トップリーグが終わったタイミングと、ちょうど節目としてはよかったかな、っていう。日本のワールドカップの大会も終わりましたし、まあ、次、また新たなチャレンジだなということで、現役を引退して運営のほうに回ったという感じですかね。
(高柳)
いわゆるラガーマンではなくなったいま、毎日どんな風に過ごされているんですか?
(五郎丸)
いやもう、本当に会社員と一緒で、朝会社行って、夜帰るという感じです。出張もなかなか多いですね。スポンサーさんへのあいさつだったりとか、営業を含めて、結構出張が多いですね。同じところにずっといるのがあまり好きじゃないので。
(高柳)
好きじゃないんですか?
(五郎丸)
好きじゃないですね。毎日オフィスとの往復だったら結構しんどいと思いますけど、こういう取材を含めて外に出るケースが多いんで。
(高柳)
引退から半年ほどたちますが、運営として成し遂げたい目標は具体的にありますか?
(五郎丸)
うーん、どうでしょうね、やっぱり球団の社長はやってみたいと思います。将来的に。やっぱりトップに立つというのが、いちばんわかりやすいですよね。でも、そのためにはいっぱい勉強しなくちゃいけないし、どうでしょうね、いま本当に社長と一緒に行動させていただくことが多いので、その中で、やっぱり、しっかりと物事を伝えていく能力というのはつけていかなくちゃいけないな、とは思います。責任も大きいでしょうけどね。
でも、組織に属するならトップを目指すというのが一番かな、と思います。わかりやすいですし。
(高柳) 大学の時に日本一を何度も取られて、日本代表にも選ばれて、私だったら舞い上がってしまうなと思うんですけど、五郎丸さんはいかがでしたか? (五郎丸) 自信…、プレーに対しては自信ありました。大学の中じゃ絶対負けない、という思いもありましたし。本当に黄金期に在籍させていただいて、日本一を取ることはすごいおもしろかったんですけど、次のステップを考えたときに、日本一になったことがないチームで、チームと一緒に成長しながらやっていきたいなという思いが強かったので、このチームを選びましたね。 大学卒業後の進路として選んだのは、静岡県を本拠地としていた「ヤマハ発動機ジュビロ」。当時、チームは日本一の経験がありませんでした。 (高柳) 日本一になるんだったら、日本一になったチームに行くほうが早いと思うんですが。 (五郎丸) それはおもしろくなかったですね。 大学のときは日本一をずっと取らなくちゃいけないようなチームにいましたし、そういうすばらしい4年間を過ごさせていただきましたけれども、次のステップで、やはり日本一になったことがないチームに行って、ともに成長しながら日本一を取って喜びたい、という気持ちが強かったですね。 (高柳) 不安とかなかったんですか? (五郎丸) いや、不安はないですね。自分で選んだ道ですから。後悔とかもないですし。誰かの勧めで流されてきたのなら後悔もするかもしれないですけど。自分の意思で決めてきたことなので。僕の親にも相談しませんでしたし。 大学1年終わるくらいには、だいたい、もうヤマハに行きたいな、というのは決めていましたね。 (高柳) 2008年に、それこそ縁もゆかりもない静岡にいらっしゃいましたが、プロ生活というのはどうだったんですか? (五郎丸) どうだったんですかね。ラグビーに集中できる環境はありましたし、毎日楽しかったですよ。あとは、大学生のとき、外国人が同じチームにいないようなチームだったので、全く自分たちと違う価値観を持った選手たちと一緒にボールを追うというのは、すごく刺激的な日々でしたね。 (高柳) 順風満帆だったということでしょうか? (五郎丸) いや、順風満帆じゃなかったですね。僕、開幕から3試合連続で退場して。 (高柳) え? (五郎丸) 謹慎食らいましたから。過去に前例ないですよね。こんな人(笑) (高柳) それはどうしてですか? (五郎丸) 技術不足ですね。簡単に言うと。勝ちたい、止めたい、という思いが強かったですけど、それに全然体がついていってなくて、例えば、足をかけてしまったりとか、そういうところで非常にチームに迷惑をかけた部分もありましたけどね。 (高柳) いわゆるラフプレーという? (五郎丸) まあラフプレーですね。簡単に言うと。 (高柳) 今の五郎丸さんからは想像ができないんですけれども。 (五郎丸) まあどうですかね。とんがっていた部分はかなりあると思いますけれども、技術がついてきてなかったのは間違いなくあると思います。 (高柳) とんがっていた、というのはどういうところ? (五郎丸) 自分の表現の方法とか引き出しが少なかったので、勝つことでしか自分を表現できないといいますか。まあ不器用でしたね。
ラグビー一筋だった生活は一変。広報宣伝部に所属し、展示するバイクの管理などを行う日々が始まりました。 (高柳) 働いた経験というのはあったんですか? (五郎丸) いや、なかったです。バイトもしたことなかったですし。バイトなんかする時間なかったですよ。 (高柳) そうか、練習で。 (五郎丸) もう、練習練習で。 (高柳) 最初、社員になるといわれたときにはどう思われましたか? (五郎丸) でも、あんまりネガティブでもなかったですかね。まあ何か一生に一回くらい働かないとな、とか思いながら。いい勉強になるだろうなとは思っていましたけれども。 (高柳) バイクもいろいろ覚えないといけなかった? (五郎丸) 普通に世の中が言っている名前で呼んでくれたらいいんですけど、社内の呼び方ってあるじゃないですか。それがもう最初全く分からなくて。車両の名前を覚えることが大変でしたね。 あとは、試乗会といって、実際にメディアの方に乗っていただいて記事にしていただいたりとかっていうイベントが、年に何回かあるんですよ。そうなると、かなりの数のバイクを輸送依頼かけなきゃいけないんで。1か所にあればいいんですけど、何か所かにあったりとか、メディアに実際に貸し出しているものとかもあるので、それを全部、1回どこにあるかをちゃんと調べて、1回どこかに集めて、コストかけずに一気に送れるようにしたりとか。かなり地味な仕事をしていましたね。 (高柳) 練習には影響でますよね? (五郎丸) ああ、影響は出ますよね。やっぱり。休む時間がそもそも全くなくなって。ちょうどリーマンショックで、結局われわれだけじゃなくて、社員の方も削られたりしましたので。ラグビー部だけ、じゃあ午前中出て、午後練習してこい、とかっていうようにはならなかったので。基本的には皆さんと同じような時間帯で働いて、その後、練習とかですね。 あとはやっぱり出て行く人も多かったので。今のわれわれのチームで50人くらいの選手を抱えているんですけれども、当時35人いなかったんじゃないですかね。それぐらいの選手でやっていたので。そもそも15対15の練習ができないんですよね。けが人もいますから。ラグビーの場合は。ピッチに立っている人数が30人以下とか、ざらにありましたね。 なので、コーチが入ったりしながら何とかやりくりしながら、という感じでしたね。それで強度も上げたいんですけど、けが人を出しすぎると試合にも出られなくなっちゃうんで。チームとして。だから強度もかなり抑えながらやっていたので。まあいちばん苦しかった時期なんじゃないですかね。 (高柳) 社員として働いた中で、いちばん印象に残っている仕事や人というと、どんなことがあげられますか? (五郎丸) そうですね。僕がその広報宣伝部に行って、上司の方がいらっしゃって、本当に柔らかい方で、いつもニコニコしてて、みんなから好かれるような上司だったんですけど。まあ、でも、厳しいことも言われたんで。 やっぱりラグビーしていて、プロでやって、会社の事情があって社員に戻るというと、周りの人は気を遣ったりとか、仕事しなくて休んでおきなよとか言われた方もいらっしゃいましたけれども、その上司は、やるときはやれよ、みたいな。仕事は仕事でちゃんとやろうね、みたいな感じで言ってくれたりとか、まあ何か1回怒られたこともありましたね。何か1回注意されて。それはそうじゃなくて、こういうことがあって、というやり取りをしていたら、いやお前、まず謝れよ、みたいな感じで。こうズバッと言ってくれる方でしたね。でもその分、すごくラグビーも応援してくれましたし。本当にお父さんみたいな感じでしたけど。 (高柳) それは五郎丸さんが何か間違えたときに? (五郎丸) そうです。そうです。 (高柳) それ言われたときはどう思いましたか? (五郎丸) ああ、確かにな、と思いましたよ。まず謝るのが普通だよな、とか思いながら。すぐ反省しましたけどね。何かその言い訳している自分に気づけていないというか、指摘されたのが仕事のときだったということで、自分を見つめ直すいい機会になりましたけどね。 会社員を経験した五郎丸さんは、ラグビーの試合中でも職場の仲間とのつながりを感じるようになりました。 (五郎丸) チームがいちばん低迷したときだったので、本当に欠かさずにみんな来てくれて旗振ってくれて。本当にありがたいですね。 (高柳) グラウンドの選手側から見ると、どんな景色に見えるんですか? (五郎丸) いやもう、本当に一人一人、表情すごい見えるんです。これだけ近いと。やっぱり負けると何か申し訳ないなという気持ちになりますし、勝ったときにはやっぱり違いますよね。すごい喜んでくれますし。本当にピッチでプレーしていて、数えるくらいしかいないんですよ。みんな。ファンの方たちって。ガラガラなんですよ。本当に。 そんな中でもやっぱり大漁旗振って応援してくれる姿とかっていうのは、すごいうれしかったですし、そういう苦しいときを支えてくれた方に対する思いというのは強かったですね。 五郎丸さんが会社の仕事をしながら戦ったシーズン、チームはリーグの入れ替え戦に出るなど厳しい状況でした。しかし、チームは最上位のリーグに残留。その後、徐々に力をつけていきました。 そして2015年。日本選手権を制し、ついに日本一に輝きます。このチームで日本一になりたいと進路を選んだ五郎丸さんが、その思いをかなえた瞬間でした。 (高柳) いまも当時のことはよく思い出しますか? (五郎丸) やっぱりあの苦しい思いがあったからこそ、このチームに対して愛着というものがわきましたし、そのときチームを離れることなくチームに残った人たちが、チームを支えてきたメンバーでもあったので、まあうれしかったですね。2015年のワールドカップの前に初の優勝をヤマハとしてするんですけど、ほかのどのチームよりも、やっぱり優勝したときに心の底から喜べる。ファンの方も喜んでくれて。 表彰式があって、その後バックスタンドに行くんですけれども、まあ基本的に優勝の常連のチームって表彰式やっている間に大体スタンドってガラッとなっちゃうんですよ。みんな帰られるんで。でもそのときは、東京で決勝やりましたけど、本当に誰1人帰ることなく。そのときはほとんど帰らなかったですね。ヤマハのファンは。 そのとき撮った写真が、自分の中でも非常に大事な写真で、心に残っていますけどね。
何が写っていたんですか? (五郎丸) われわれが喜んでいるのと、その後ろにかなりな数のブルーのジャージを着たファンが写っているんですけど。だからまあ、そのときの写真をもう一度見たいし、撮りたいということで、みんながいま頑張っているんですけどね。 (高柳) 社員を経験して、ラグビーとは違う組織に属したと思うんですが、それによって五郎丸さんのチームに対する考え方とか、組織に対する考え方とかって何か変わったりしましたか? (五郎丸) いままではラグビーという組織の中でしか生きてこなかったので、ある程度みんな考えていることも一緒だし、生活のリズムとかも一緒ですけど、そもそも会社に行ったら考え方もみんなそもそも違うし、みんな好きでラグビーやっている集団がプロの集団なんですけど、会社ってそうじゃないじゃないですか。自分が本当にその会社が好きで仕事をしている人たちって、そんなに多くないと思いますし、生活のためであったりとか、いろんな目的がいっぱいあります。でも、例えばラグビーの集団というのは、みんなが優勝するためという目標は一つなんですよ。好きでみんなやっているし。となると、みんな価値観も一緒だったり、意見も一緒だったり、意見がまとまりやすいと言えばまとまりやすいんですね。目標が一つなんで。 でも会社に行くと、いろんな難しいことがあるな、という。でも、そういう考えの人たちもやっぱりいるよね、って。考え方は一つじゃないよというのは、すごい感じた部分かなと思います。そういう価値観っておもしろいなっていうのは、社員になってつくづく感じましたね。 (高柳) 違いがおもしろい? (五郎丸) おもしろいですね。そういう存在を知ることができたことが楽しい、というか。 (高柳) もし社員を経験していなかったら、五郎丸さんはラグビーってどうなっていたと思いますか? (五郎丸) どうでしょうね。別に社員やったことが美しいとは別に思わないですし、プロで選んできた人間ですから、プロを続けることがいちばんよかったんでしょうけど、人生そんなに甘くないですし、どこかでそういう挫折、挫折って呼んでいいかわからないですけど、自分が望んでいない人生というのが来るタイミングは絶対にあるので。 それをネガティブに捉えるか、ポジティブに捉えるかで、だいぶその後の人生って大きく変わってくるかと思いますので。
(高柳) 2015年、ワールドカップでのスコットランド戦のタックルとかよく覚えています。 (五郎丸) あれは人生のピークですね。ラグビーのね。スピードもそうですし、体のバランス、すべてがバランスよかったですね。あのときは29歳ですかね。経験と体と、すべてがいちばんいいピークに持っていけた時間でしたね。 あそこにすごいフォーカスが当たりますけど、それまでにみんないろいろ体を張り続けているわけですよ。まあ、タッチ出して、前半終わって、という派手さがあるだけで、派手じゃないところでみんないろいろ頑張っているんですよね。それをフルバックといういちばん後ろのポジションなんで、だから、自分の仕事をやったというだけですね。 だから、すごいだろうなんて全然思わなかったし、自分に与えられた仕事をしました、はい、じゃあ帰ります、みたいな感じで帰りましたけどね。 (高柳) ラグビーってそういうものなんですかね。 (五郎丸) そういうものですね。トライ取ったやつすごいとも思わないし、ゴール決めるのもチャンスもらっているとしか思ってないし、あまりラグビーの人って考えないですね、そういうの。自分がチームのために何ができたかという物事の考え方ですかね。 だからその派手なプレーとかって、観客がブワーッて沸いたりするんですけど、それは自分に与えられた仕事をしただけなので、うれしいとも思わないし、あんまり乗らないですね。だから。 でも、あの2015年のワールドカップが終わって帰ってくると、そうじゃなかったじゃないですか。やっぱり。1人にフォーカスが当たっていたわけですね。僕自身は3歳からラグビーをやっていた人間としては、やっぱり1人にフォーカスすることは明らかにおかしい、という違和感は感じたけど、そもそもラグビーというスポーツを知らない人のほうが圧倒的に多い中で、最初は結構きつかったですけどね。環境があまりにも変化しすぎて。きつい部分はありました。 (高柳) きつい? (五郎丸) でも、そのなかでスポットが当たっているからこそ伝わるメッセージというのは確実にあったし、もう2019年にワールドカップが日本で開催されるというのが決まっていたので、じゃあ2019年に向けてラグビーのよさを発信していく立場になるんだろうな、ということで切り替えはできましたけどね。 (高柳) 何を伝えたかったんですか? (五郎丸) だからその、ラグビーの本質ですね。 スターとかじゃなくて、愚直に頑張っているやつもいれば、トライするやつもいて、得点するやつもいるし。試合中ボールを全く持たないようなやつもいっぱいいるんです。でもそれがかみ合ったときに初めてトライが取れるし、自分の仕事というのをみんな愚直に100%やりつづけているんですよね。だからラグビーの世界でいけば、本当にスターなんていうのは存在しないと、僕の中では思っていますけれども。 だからまあ、2019年のワールドカップが終わったあとに、比較的スポットが散ったというか、いろんな選手にフォーカスが当たったというのは、ラグビーがひとつ大きく認められた光景かなとは感じましたね。
引退会見では「次は選手としてではなく、マネージメントの立場として、ラグビー界にしっかり貢献していきたいと思います」と語りました。 いま、日本のラグビー界は大きく変わろうとしています。「ジャパンラグビートップリーグ」から「ジャパンラグビーリーグワン」と名前を変え、より地域に密着したチームになろうとしているのです。五郎丸さんが所属していた実業団のチームは「静岡ブルーレヴズ」となり、五郎丸さんはそこで、これまで経験のない運営の道を歩み始めました。 (高柳) どうして運営の道を選ばれたのでしょうか? (五郎丸) そうですね。今の社長から、引退する前に一度お会いして、運営サイドに来ないかと言われたんですね。まあ、本当にすごく口説き文句が上手な方で、「自分のいちばん最初の仕事はあなたがチームに残ってもらうことだ」と言われて、「ああ、この人と一緒にやったら、すごいやりがいもあるし、おもしろいだろうな」と思って。 やはり、いままでは企業スポーツの中でしかやってこなかったことを、これからプロ化に向けて徐々にラグビー界が進んでいくと思うんですけど、その初年度で、現役の選手だった人間が運営の道に突き進むというのは、ひとつおもしろいケース、モデルケースをつくれるのかなという風な思いがあって。 当初はコーチも考えていたんですけど。 (高柳) 考えていた? (五郎丸) はい。現場に残ることも考えてはいたんですけれども、社長からそう言われて冷静に考えたときに、どっちが自分の中でワクワクするかてんびんにかけたら、運営のほうが勝ったという感じですね。 (高柳) 何でワクワクしたんでしょうね。 (五郎丸) まあ前例がないので、現役の選手は基本的には社員として残って社業に行くかっていうことだったんですけれども、運営でプロを目指すというのはいままでなかったんですよ。企業スポーツなんで。 でも、そうじゃない世界がこれから来るだろうということで、われわれ一歩目をぐっと踏み込みましたけれども、そのチームとまた一緒に、運営という立場でやっていくことは、自分の人生の上でも非常にプラスになるだろうし、おもしろいなと思いましたね。 (高柳) 運営という新しい役割にチャレンジするじゃないですか。でも、失敗するかもしれない。どうしてその一歩を踏み出せるのかなと。 (五郎丸) 自分の意思がそこにあるからですね。私、失敗とも思わないと思うんですよ。自分の意思だったらですよ。 やらされたときの失敗と、自分からみずから一歩踏み出す失敗と、大きな違いがあると僕は思っていて、自分が一歩踏み出しての失敗というのは、絶対次に生きてくると思うんですよ。自分でアクションを起こしているから。でも、誰かにやらされた失敗というのは、基本的に自分のせいにはしないじゃないですか。やらせた人のせいにするじゃないですか。 (高柳) 言い訳できる? (五郎丸) 言い訳できるし、次につながらないわけですよ。だから基本的には自分は、次の道だとか何か選択するときには、あまり周りに相談せずに自分の意思だけで決めます。後悔したくないから。 (高柳) 後悔? (五郎丸) 誰かの意見聞いてみたからこうしてみた、というのはないですね。自分の意思で決めて、自分でアクション起こします。 (高柳) 昔からそうだったんですか? (五郎丸) そうですね。基本的に昔からそういう人間です。物事は捉え方だと思っているので、失敗だと思えばそこで終わるんですよ。でも何かその失敗をしたときに、次のチャンスをもらったとかいう風に捉えれば、すごいおもしろい時間になるじゃないですか。だからあまり失敗したとか、思わないですよね。 (高柳) キックのときとかもそうですか? (五郎丸) 全然思わないですね。 (高柳) はずしても? (五郎丸) 全く思わないです。 (高柳) 全くですか? (五郎丸) 全く思わないですね。 (高柳) どうして? (五郎丸) それは、そこまでにしっかり準備するからですよ。自分が準備をできるだけして、やった結果はずれたら、これはしかたないじゃないですか。結果ですから。それは。過程で妥協すると、あのときああしておけばよかったとかって後悔するだとか、ああやばいなとかって思うかもしれないけど、自分ができる準備はすべてやったうえで試合に臨んでキック蹴っているので、はずれたら、まあ次だな、みたいな感じですね。
(高柳) コロナの状況、影響を鑑みて、難しさというのはありますか? (五郎丸) ありますね。運営面、チケットも含めてですけどね。われわれ開幕が1月なので、そういったところでも調整をしていかなければならないですね。開幕戦に関しては、おもしろい演出はいろいろ考えていますよ。 まあ、でも、来ていただいた方は間違いなく満足していただけるような仕掛けはしていっているので、シーズンを通して楽しんでいただければと思いますけどね。 (高柳) 地方にラグビーチームがあることの意味って、何なんでしょうね。 (五郎丸) 静岡ってそこまで大きな県でもないですし、そういう地方のチームだからできるアクションというのは間違いなくあるし、われわれがもし成功すれば他のチームも自分たちの母体となる会社名を抜いて、より地域に根ざしていく、Jリーグだったりだとか、野球のような、本当に市民、県民に愛されるようなチームをみんながたぶん目指していくと思うんですよ。 (高柳) 今、どんな思いがいちばん強いんですか。 (五郎丸) 根本は、このラグビーという競技が好きだということですね。このラグビーというものを、もっとみんなが見に来てほしいし、もっと身近に感じてほしいし、なんかそういう世界観を作っていくおもしろさというのはすごい感じているんですね。まあでも、1人で勝つよりもみんなで勝ったほうが喜びが大きいというのはあるかもしれないですね。だからそのチームに関わる人が多ければ多いほど、幸福感って大きくなっていくと思うんですよ。 やっぱりチームのために無心で体を張り続けることができる。そこに見返りを求めない。これ、日常的に生きていて、そんなことってありえないんですよ。絶対。自分が犠牲になると、その分、対価を求めるじゃないですか。 (高柳) 損したと思いますもんね。 (五郎丸) でも、ないんですよ。スポーツの世界には。ラグビーは特に。それがやっぱりやってて気持ちいいし、究極の選択が毎回来る中で、痛いことであろうが、きついことであろうが、やり続けている仲間たちと一緒にいられるというのはすごい幸せだし、その結果勝つことができるのなら、もう最高ですよね。そういうのを、やっぱりこの非日常の空間で、プレーで味わってもらえるのがスタジアムだと思うので。そういう空間づくりというのはしていきたいなと思いますね。自分はプレーヤーとしてここに立つことはもうないので。その究極の非日常を作り上げる。 チケット一枚にしてもそうですよね。そのチケットには全くの価値はないんですけれども、そこに価値を感じてお金を払ってくれるんですよね。紙切れ一枚ですよ。たったの。でも、その価値観はいかようにでも膨らませることはできるし、究極の非日常なわけですよ。スタジアムというのは。 あんなに防具も着けずにチームのために体を張り続ける姿というのは、まあ究極の非日常なので。その見せ方を工夫するともっと楽しいものになるだろうし。いままでは企業スポーツだったので、自分たちの社員だとか、自分たちのエリアに住んでいる人たちを楽しませるものでしかなかったんですよね。それが悪いとは言わないですけれども、やっぱり限界はあって。これから本当にラグビー界っていろんな意味で変わっていかなきゃいけないスポーツの一つだと思いますし、ラグビーのワールドカップがあれだけ盛り上がったのに国内リーグがこんなに冷めてたら、目指さないですよね、子どもたちも。そもそも。 でも、可能性はいっぱいあるし、その可能性を、あのラグビーワールドカップが教えてくれたと思うし。ラグビーやった人間が頑張ってそういう世界観を作っていくというのは、またひとつおもしろい世界ができるんじゃないかなという風には思っています。 五郎丸さんのインタビューはこちらの番組でも放送 「インタビューここから ラグビー元日本代表 五郎丸歩」 〔総合〕11月23日(火)午前6:30~ https://www.nhk.jp/p/a-holiday/ts/M29X69KZ1G/episode/te/XX4GWZKL6J/
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リーマンショックの影響でプロ選手から会社員に
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より「ワクワクする」運営の道へ