
【寄付先一覧も】現地に支援届けるには

東日本大震災による死者と行方不明者を上回る
▽トルコ国内で2万318人、
▽シリア側では少なくとも3553人が死亡し、
亡くなった人の数は両国であわせて2万3000人を超えています。
2011年に起きた東日本大震災による死者と行方不明者は、「震災関連死」も含めて10日までに合わせて2万2212人にのぼっていますが、今回の大地震の犠牲者は、これを上回る規模となっています。
また別の映像では、南部ハタイ県の村でオリーブ畑の地盤が崩れてがけが出現し、地形が大きく変わった様子がとらえられていました。
近所の住民などによりますと、助け出されたのは50代の夫婦で、6日未明の地震で倒壊した8階建てマンションの下敷きになっていました。救助隊員が電動ドリルでがれきを取り除くなか、10日午後5時ごろ、毛布などにくるまれ、担架に乗せられた夫が救急車へと運び込まれていきました。 その後まもなく運び出された妻ははだしで、疲れ切った様子でしたが、妻を乗せた救急車が出発すると現場からは大きな拍手が送られました。 トルコメディアは、夫は助け出される際に「妻を先に運び出してほしい」と話していたと伝えています。 トルコでは、生存率が著しく下がるとされる災害発生から72時間をすぎてからの救出劇が相次いで報告されていて、家族の生還を待ち望む人たちに希望を与えています。
アンタキヤに住む32歳の男性は「まちの半分ほどが破壊されたように思います。ここで暮らすことはもう無理なので、家族と他のまちに移り住む準備をしています」と話していました。 また、39歳の男性は「悪夢を見ているように感じ、夢なら早く覚めてほしいと思ってしまいます。早くすべてがよくなることを願っています」と話していました。
被災した住民によりますと、広い範囲で停電と断水が起き、ガスの供給も止まっているということで、中心部の広場では、防災当局などが被災者支援の拠点を設けています。 ここでは水やパン、それに温かいスープのほか、毛布や衣服などが配られ、空いたスペースには当局が用意したテントが設置されていました。 3か月の赤ちゃんを含む家族と親戚10人でテントでの避難生活を続ける28歳の男性は「テントは用意してもらったが、ほとんど何も持たずに逃げてきた。寒さで子どもたちが我慢できずにいます」と訴えていました。 当局が用意したテントは数が足りず、被災者の中には屋根と風よけのあるレストランの屋外スペースを借りて暖を取る人たちの姿も見られました。ただ、幅7メートル、奥行き20メートルほどの場所に多い時には100人以上が詰めかけ、多くの人は横になることもできずいすに座って夜を明かしているということです。 一方、町の中では、簡素なテントを張り、たき火をたいて寒さをしのぐ被災者の姿もみられました。2つの家族17人でテントでの避難生活を送る被災者の女性は、「政府のテントは足りず、私たちには回ってきません。寒くて耐えられません」などと訴えていました。
昼すぎにモスクに集まった人たちは、建物の安全が確認されていないため、モスクの前の広場に持参した敷物や段ボールを広げ、その上に座って礼拝を行っていました。 このうち、地震でいとこを亡くしたというオメル・セルテルさん(36)は「多くの人が同じような経験をしました。きょうはこのような災害がもう起きないように祈りました」と話していました。 また、イスマイル・オズトルクさん(60)は「この地域では家がたくさん壊れて多くの命が失われました。皆が生き延びれるように祈りをささげました」と話していました。
このうち、トルコ南部のガジアンテプ県の町、イスラヒエでは、地域の拠点となる病院が被災し患者の受け入れをとりやめています。 町の中心部ではあちらこちらで建物が倒壊して薬局も営業できなくなっていて、中心部の広場では地震が発生した6日から仮設テントの診療所が設けられ、病人やけが人の対応にあたっています。 ただ、医師はおらず、看護師と薬剤師が、患者の症状を聞き取って薬を渡したり、傷口を消毒したりしていました。 看護師の男性は「ここでできることには限界があるうえ、薬の量も限られている」と話していました。 診療所を訪れたシリア人の45歳の女性は「常備薬があと少ししか残っておらず、診療所にやってきましたが、薬はないと言われました。どうにかして薬をみつけたいです」と話していました。 また、現地では、最低気温が氷点下の冷え込みが続いていて、仮設テントや車の中での避難生活を続ける人たちが体調を崩して相次いで訪れていました。 このうち、英語教師のピナル・イルティジさん(26)は、自宅が被災し、家族とともにトラックの荷台で毛布にくるまって夜を過ごしています。 47歳の母親は寒さで体調を崩し診療所でかぜ薬をもらってしのいでいます。イルティジさんは「安心して寝られる場所もなく、家族も体調を崩し、こんなにつらい経験は初めてです」と話していました。
震源近くの県 長い亀裂や道をふさぐ岩も
がれきの下に110時間以上 女の子を救出
23:00 地震から100時間以上経過 夫婦救出
22:30 アンタキヤ中心部 被害甚大
19:00 イスラヒエ 停電と断水 テント足りず
18:30 アンタキヤのモスク 被災者に祈り
18:00 イスラヒエ 医療の提供困難