当時は年末年始の第3波の前で、政府の「Go Toキャンペーン」も続いていました。
前川さん
「皆と仲間で会いたいという欲望に勝てなかった。自分たちに限っては大丈夫と考えてしまった。いつものお店を使ってあげようという思いもありました」
11月8日。
前川さんは17人で会食し、3時間にわたって鍋を楽しみました。
静かに食べようと注意する人もおらず、会は盛り上がってしまいました。
前川さんの後ろのテーブルにいた参加者が発症しました。 その後も参加者が次々と発症し、17人のうち8人が感染するクラスターとなりました。 前川さんも12日に39度の高熱を出し、13日には重症者にも対応可能な県立加古川医療センターに運ばれ、入院しました。 前川さん 「この時期、兵庫県では感染が確認された人はすぐに入院や宿泊療養することになっていたので、私もすぐに病院で治療を受けることができました。入院先が見つからない待機者がいる今と比べると、恵まれていました」 51歳と働き盛りでしたが、入院後、症状は急速に悪化していきました。
「本当に陸で溺れたみたいになる。どんどん肺の中に水がたまって息が吸えないんです」 前川さんは40度近い高熱が下がらず、入院から1週間後の20日にはICU=集中治療室に入りました。
前川さんはそのときLINEで、妻にそう送りました。 ICUに運ばれたということは、死ぬ確率があるということだと受け止めました。 想像もしていなかった「死」を意識し、自分でもショックを受けました。 「前川さん、大丈夫だからね」 そんな前川さんを支えたのは、医師や看護師の励ましのことばでした。
入院前から体重は9キロ減りました。 退院後も深呼吸すると肺に痛みが続く後遺症に1か月間、苦しめられました。
前川さんがそう振り返るのには理由があります。 前川さんは、感染したとき、ひどい息苦しさに悩まされました。 血液中の酸素の状態を示す値「酸素飽和度」は、酸素マスクをしていても80%台と、正常値とされる96%以上を大きく下回ることもありました。 それがいま、第4波で医療体制がひっ迫する自治体では、結果として70%台でしか入院できないところもあることをニュースで知りました。 前川さん 「70%台なんて生きているのが不思議なくらい。いまかかっていたらと思うとぞっとします」
苦しい闘病のさなか、ベッドの上でひとり、誕生日を迎えました。 悲しい思いをしていると、看護師が突然「前川さん誕生日おめでとう」と入ってきて、バースデーソングを歌ってくれたのです。 昼食には誕生日ケーキとメッセージカードのサプライズプレゼント。 本当にうれしく、感激しました。 そんな看護師たちから、時折、つらい気持ちを聞くこともありました。 「一番ほしいのは人。あまりにも人手が足りない」 「感染症病棟で勤務しているので恋人や友人にも会えない」 懸命に自分の命を救い、その後も終わりの見えない戦いを続けている医療従事者を助けたいという思いを強くした前川さん。 みずからの体験と反省を「反面教師」として共有し、感染防止に役立ててもらおうと、実名での証言を始めました。 「コロナの時にアホの役員が飲みに行くなよ。どんなあほの会社やねん」 「コロナをまき散らすな」 会社には電話やメールで数件の批判が寄せられましたが、想像よりも批判は多くありませんでした。 仕事に復帰したあとは感染対策として、応接で客と打ち合わせをする場合は紙パックのお茶を出すようにして、マスクの隙間からストローで飲んでもらうなどの工夫も続けています。 前川さん 「ICUで治療中は呼吸が止まるのではと苦しさと恐怖で眠れない夜もありました。あの時、会食したことをとても後悔しています。絶対、自分は大丈夫ってことはないので。すごい迷惑をかけてしまう病気なので周りのことを考えて注意して頂ければなと思います」 (取材:神戸放送局 記者 初田直樹)
会食参加者の半数が感染 クラスターに
想像もしていなかった「死」を意識
医療ひっ迫の今、感染していたら…
医療従事者に感謝 実名で伝えたい