2020年、そうした思いを胸に抱いて、高校に進学した球児たちにとって、コロナの影響が続いたこの3年間は、全く想像できなかったものになりました。
入学したときから多くの学校が休校になり、およそ2か月、チームメートと顔を合わせることすらできませんでした。
こうした中でも多くの部員が困難と向き合いながら野球を続けました。 3年生まで継続した部員の割合は「92.7%」。集計を始めた1984年以降、過去最高となりました。 試合会場で、最後の夏の戦いを終えた3年生の球児たちに話を聞くと、“仲間”や“ライバル”の存在が支えになったと話してくれました。
「コロナで大会や練習がなくなってモチベーションを保てず、しんどい時もありましたが、今は最後まで続けられて楽しかったという気持ちがいちばん」 ▼須磨翔風高校(兵庫)勝部羽隼選手 「練習がない時は1人で考える時間が多く悩んだが、野球を通して、仲間がいたら無理だと思えることでもできると学んだ」
滋賀の近江高校の山田陽翔投手(写真左)と京都国際高校の森下瑠大投手(写真右)です。
代わって出場した山田投手の近江は、滋賀県勢初となる決勝に進み、準優勝を果たしました。 甲子園で光ったのは、山田投手の気迫あふれるピッチング。その裏には夢の舞台を奪われたライバルへの思いがありました。
「森下(投手)がいちばん甲子園のマウンドに上がりたかったと思う。出られなかった京都国際の分まで戦う気持ちを背負って投げていました」
およそ2週間、練習ができず、再開したあとも、利き腕の左ひじに痛みを感じ、医師からはコロナの後遺症と診断されました。 京都国際 森下瑠大投手 「自分らでつかみ取ったセンバツの舞台がなくなって、悔しかったです。野球がしたくてもできないつらさが、いちばん大きかったです」 対照的だった春から最後の夏へ。 1年ほど前にSNSでつながった2人は、京都国際のセンバツ辞退が決まった直後に、森下投手が山田投手に送ったエールをきっかけに交流が深まっていきました。
そして2人は、感染対策として全体練習の時間が制限されるなどコロナの影響が続くなかでも、ともに成長していこうと、夏に照準を合わせてきました。
「頑張らなあかんなと思わせてくれる。ライバル意識しているので、負けたくない気持ちが強い。練習時間が少なくなったのは本当に痛いけど、その中でやることで見える景色も変わってきた」
「思うように練習できないことも多かったんですけど、僕たちだけじゃなくてほかのチームも同じことなので、言い訳にはできない。甲子園に出て、山田と投げ合いたい」
森下投手はひじの状態を考慮してマウンドには上がらず、バッターとしての出場となりましたが、最初の打席で、山田投手の速球をとらえ、センター前にヒットを打ちました。
「野球をできる喜びは、ほかのチームより感じている。思い切って楽しむことを忘れずに最後は日本一で笑って終われる夏にしたい」 近江 山田陽翔投手 「京都国際は春に届かなかった全国制覇をするうえでは必ず当たる敵だと思う。次は自分たちの手で勝ち進んで甲子園の頂点に立ちたい」 せっさたくましてきた2人のように、高校球児たちは厳しい環境の中でも、それぞれの目標を持ち、“仲間”、“ライバル”とともにその歩みを進めてきました。 最後の夏、熱い思いのこもったプレーを見届けたいと思います。
対照的だった春から最後の夏へ
特別な1日