「永明なくして今のパンダファミリーはありません」
中尾さんに、ここまで言わせる永明。その実績を振り返ると。
もうけた子どもは16頭。日本では1番、世界でも屈指の繁殖実績です。
しかも、最後の子どもをもうけたのは28歳のとき。これは飼育下での自然交配による繁殖では世界最高齢の記録です。
アドベンチャーワールドの繁殖実績は永明の実績といっても過言ではない、すごいパンダなんです。
メスの「蓉浜(ようひん)」とともに、繁殖研究のために、中国・四川省からやってきました。 中尾さんは当時、入社6年目。突然、上司から呼び出されて、パンダの健康管理を担当すると告げられました。 しかし、パンダの来園はトップシークレット。 ほかの人に相談することもできず、上司から渡された飼育に関する中国語の本を必死に読み込んだといいます。
「不安というよりも、やらないといけないという感じでした。今は英語の論文もたくさんあり、インターネットで論文を探すのも楽ですけど、当時は紙媒体ではいって渡されて。私は中国語が全然できませんでしたので、一生懸命辞書を引きながら、読み込みましたね」
中尾さんが原因と考えたのが、主食として与えていた特製のだんごです。
しかし、パンダの本来の主食は竹。体も竹を消化するようにできています。 そこで、中尾さんは竹を中心に与えようと考えました。 中尾さん 「だんごはすごくカロリーの高いものなんですよね。おなかいっぱいになりますし、おなかいっぱいになると寝て動かなくなる。動かないとおなかが減らなくなり、食べる量も減っていく。そんな悪循環でした」
永明は非常にグルメなパンダでした。 潮風でついた塩分や排気ガスなど、すこしでも嫌なにおいがついた竹は食べません。
それは、永明とともに来日したメスの蓉浜の死です。 蓉浜は当時4歳。来園から3年がたち、これから繁殖というタイミングでした。 永明と蓉浜は、繁殖のために中国から借りたパンダでした。 今後につなげるためにも、永明を絶対に死なせるわけにはいかない。 中尾さんは、永明に少しでも健康でいてもらうため、おいしい竹を必死に探しました。
およそ6年かけて主食を竹に変えたところ、食事が安定し、永明はすっかり元気になりました。 中尾さん 「大量の竹をよい状態で仕入れるのは大変な作業です。ただ、それがパンダの体に一番よいということを教えてもらいました。『永明』以降では、消化器系で体調を崩すパンダはほとんどいないですね」
新しくメスの「梅梅(めいめい)」がやってきたのです。 パンダは最初に相性が合わなければ、一生交尾をしないといいます。 中尾さんは引き合わせるのが怖かったといいます。
永明は柵越しに梅梅に近づくと、でんぐり返しをして喜びました。 翌年、梅梅が発情したタイミングを見極めて、2頭を同じ部屋に入れたところ、周囲の心配をよそに、見事に交尾に成功しました。 中尾さん 「実はそのとき東京に出張していまして、当時は携帯電話がなかったので、公衆電話を見つけたら『どうだった?どうだった?』と聞いていました。交尾しましたって聞いたときは、むちゃくちゃうれしかったです」 そうして初めての子ども「雄浜(ゆうひん)」が誕生。 永明は梅梅との間に6頭。梅梅の死後は「良浜(らうひん)」との間に10頭の子どもをもうけました。 抜群の繁殖実績に、ファンたちからは「スーパーパパ」と呼ばれるようになりました。
小さなころから体調を崩すたびに駆けつけていたため、永明は中尾さんの足音を聞くと近づいてくるようになりました。
中尾さん 「何年か前に永明に会いに行ったら、当時の飼育スタッフに『もう来ないでください』って言われまして。ようやく永明が竹を食べ始めたと思ったら、私の声がするから竹を食べるのをやめたじゃないですかって。私、『おいしい竹をくれる人』って一番なめられているかもしれないです」
コンテナに積み込まれた永明が、飛行機に乗せられるまでの間、竹や水をあげて、最後まで気にかけていました。 中尾さん 「全くさみしくないと言えば、うそになりますけども、中国はやっぱりパンダのふるさとなんで、戻れてよかったねと思います。もう30歳なので、あまり欲は言いませんけど、1日でも長く健康な状態を続けてくれればいいなと思っています」
独学で学んだ飼育方法
病気がちだった永明
竹を主食にしようとしたものの…
早すぎる蓉浜の死 “永明を死なせるわけにはいかない”
「永明」がスーパーパパに
おいしい竹をくれる人
元気に余生を過ごしてほしい