2005年4月25日、兵庫県尼崎市でJR福知山線の快速電車がカーブを曲がりきれずに脱線して線路脇のマンションに衝突し、107人が死亡、562人がけがをしました。
負傷者の中には今も後遺症に苦しむ人もいます。
事故から20年となる25日、現場では、脱線事故が起きた午前9時18分とほぼ同じ時刻に普通電車が速度を落としながら通過し、地元の住民などが線路沿いで手を合わせていました。
また、電車が衝突したマンションの一部を残す形で現場に整備された追悼施設では、午前10時前から慰霊式が行われ、遺族や事故でけがをした人、それにJR西日本の役員などが参列しました。
式では、はじめに全員で黙とうをささげました。
その後、JR西日本の長谷川一明社長が「あらためて心より深くおわび申し上げます」とした上で、「事故を風化させないことの重要性を強く認識しており、役員、社員一人ひとりが事故の悲惨さ、いのちの大切さを心に刻み、一層力を入れて事故の事実や反省、教訓を後世に継承してまいります」と述べました。
JR西日本では事故のあとに入社した社員が7割を超え、記憶や教訓の継承が課題となっていて、会社は社員の安全教育を改めて徹底するとしています。
遺族「教訓として生かしてもらわないと無念 」
事故で妻の節香さんを亡くした兵庫県西宮市の西野道晴さん(85)が慰霊式に出席したあと報道陣の取材に応じました。
この中で西野道晴さんは「慰霊式では、妻に『元気でやっているよ』と話しかけました。妻を失った悲しみは忘れないが前を向いて生きていくことが供養になると思って、頑張って生きていきたい」と話していました。
その上で「この事故を教訓として生かしていってもらわないと、われわれ遺族の無念さは消えることはない。JRには、反省と安全のための努力を続けてほしい」と話してました。
また、長男の勝善さん(55)は「あっという間の20年でした。なんとか元気にやっているので母には、『これからも見守ってね』と伝えました」と話していました。
鉄道会社に就職予定の大学生「安全に対し真摯に向き合う」
事故があった時刻に現場の近くで手を合わせた東大阪市の21歳の男子大学生は来年の春、鉄道会社に就職する予定で25日、初めて現場を訪れたということです。
大学生は「事故当時は1歳だったので、直接は知りませんが、来年から鉄道に携わる者として、一度は手を合わせたいという思いで訪れました。事故のことは鉄道に携わるすべての人が忘れてはならないことで、これからも事故のことを知り、安全に対して真摯に向き合っていかないといけないと思います」と話していました。
現場近くに勤務していた男性「見るたびに当時を思い出す」
脱線事故の当時、現場近くの会社に勤めていたという80代の男性は、事故が起きた午前9時18分とほぼ同じ時刻に電車が現場を通る中、手を合わせて祈りをささげました。
男性は「この場所を見るたびに当時を思い出し、悲しい気持ちになります。JR西日本もさまざまな対策をしていると思いますが、事故が二度とないようにしてほしいです。これからもまた、時間があればこの場所に来たいと思います」と話していました。
国土交通相「鉄道輸送の安全・安心の確保に取り組む」
JR福知山線の脱線事故について中野国土交通大臣は、25日の閣議のあとの会見で「お亡くなりになられた方々のご冥福と、ご遺族の皆様への哀悼の意を表したい」としたうえで、「二度とこのような事故を繰り返さないように、そして安心して鉄道をご利用いただくことができるように、全力を挙げて鉄道輸送の安全・安心の確保に取り組んでまいりたい」と述べました。