堺屋太一さんは、当時の通産省の担当者として、昭和45年の大阪万博の開催などに携わったあと、作家としてデビューし、小説「団塊の世代」がベストセラーになりました。
また、平成10年から2年間、経済企画庁長官も務めるなど、政治や経済、文芸など幅広い分野で活躍しましたが、今月8日、83歳で亡くなりました。
堺屋さんの告別式は、17日午後1時から、東京 港区の葬儀所で営まれ、親交のあった関係者など約1000人が参列しました。
式では、初めに菅官房長官が「さまざまな分野での堺屋さんのご活躍は計り知れないものがあり、突然の訃報は残念です。私は『豊臣秀長』が愛読書ですが、去年、官邸でお会いした時に、サインを入れた本を手渡してくださったことが思い出に残っています。堺屋さんの意思を受け継ぎ、次の『大阪・関西万博』に向けてしっかり取り組んでいきたい」と弔辞を述べました。
また、堺屋さんの自宅を設計するなど、長年、親交のあった建築家の安藤忠雄さんは「堺屋さんの最大の功績だった1970年の大阪万博は、20世紀を代表する万博だったと思います。私たちもこれから日本を挙げて21世紀を代表する万博を作っていきたい」と思いを語りました。
参列した人たちは、遺影の前で焼香したり、手を合わせたりして別れを惜しんでいました。