思い出を振り返り、「津久美の弟が生まれる前、私が津久美を預かりましたが、『お母さんがいなくても大丈夫だよ』と言って、私を安心させようとしてくれる芯の強い子でした」と話しました。
夫が亡くなって落ち込んでいたときには、津久美さんが当時住んでいた札幌市に祖母を呼び寄せて観光名所を案内してくれたといいます。
津久美さんが大学卒業後、東京の乳児院で働くため1人暮らしを始めた時には「仙台から東京に単身で移り住み心配していましたが、乳児院のスタッフもアパートの大家さんもいい人たちばかりだと聞いて安心していました」と話しました。
クリスマスの時期になると祖母にクリスマスカードを送ってくれたといいます。
クリスマスカードには「花巻は寒いと思うけど、あたたかくしてカゼひかないようにしてね」「ドライブ、買い物行こうね。インフルエンザ気をつけてね」と書かれ、1人で暮らす祖母のことを気遣うメッセージがつづられていました。
祖母は「帰省で帰って来てくれるのがとても楽しみでした。いつも私のためにたくさんのお菓子を用意してくれたり本当に優しい子でした」と話していました。
事件については「最初は全く信じることができませんでした。今はとにかく悲しいです。津久美の父親もずっと泣いていて、立ち直れるかわからないです。津久美は人に恨まれるようなことをするような子ではないので、なぜ殺されたのか本当にわかりません。悲しくて何も考えられません」と涙をこらえながら話していました。
知人女性「ことばもない」
花巻市の知人の78歳の女性は「津久美ちゃんは帰省するたびに私の家に寄ってくれた。東京のアパートは安心して1人暮らしができる地域だと聞いていたのに、こんな事件に巻き込まれるなんてことばもないです」と話していました。
そして「津久美ちゃんは子どもが大好きで、大学で福祉を学んで乳児院に就職したと聞きました。職場では『深夜まで赤ちゃんをだっこし続けないといけない時もある』と言っていましたが、それでもやりがいを持って頑張る姿を尊敬していました。犯人を早く捕まえてほしい」と訴えていました。