兵庫県西宮市の
朝日新聞阪神支局に
散弾銃を
持った
男が
押し入り、
記者2人が
殺傷された
事件から
3日で32
年です。
支局には
地元の
人たちが
次々に
訪れ、
当時29
歳で
亡くなった
記者を
追悼しています。
昭和62年(1987)5月3日の夜、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に目出し帽をかぶった男が侵入して散弾銃を発砲し、小尻知博記者(29)が殺害され、もう1人の記者が重傷を負いました。
事件から32年となった3日、支局の1階に拝礼所が設けられ、訪れた人たちが、遺影に手を合わせたり花を手向けたりして追悼しています。また、3階の資料室には、小尻記者が撃たれた際に穴があいた上着や、散弾を受けて形が変わったボールペンなどが公開され、「言論へのテロ」と言われた事件を伝えています。
事件のあと、「赤報隊」を名乗る犯行声明文が報道機関に送られ、その後、名古屋にある朝日新聞の寮での発砲事件や静岡支局の爆破未遂事件などの犯行が繰り返されましたが、いずれも未解決のまま時効を迎えました。
毎年訪れているという72歳の女性は「希望に燃える若い記者が志半ばで銃弾に倒れ、無念だったと思う。こうした事件を二度と起こさない社会でなければならない」と話していました。