宮城 石巻の日和山では
津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市では、町の沿岸部を見渡すことのできる日和山に早朝から訪れた人たちが祈りをささげました。
宮城県によりますと、石巻市では震災で3552人が亡くなり420人の行方が今も分かっていません。
11日は沿岸部を見渡せる日和山に早朝から訪れた人たちが、祈りをささげたり写真を撮ったりしていました。
営んでいた店舗が被災したという女性は「毎日ここに祈りをささげに来ています。9年がたちましたが私はあの日からずっと同じ気持ちです」と話していました。
近くに住む70代の男性は「毎年この時期にここで写真を撮っています。同級生13人が亡くなってしまったので安らかに眠れるよう祈りました」と話していました。
宮城 名取 閖上地区では
名取市の閖上地区は震災の津波で700人以上が犠牲になり、海から1キロほど離れた地区を見渡せる高台の「日和山」は、犠牲者を悼む場となっています。
震災の発生から9年となった11日、高台には朝早くから祈りをささげる人の姿が見られました。
名取市内から来た男性は「節目の日なので、当時の気持ちを思い出すために来ました。9年がたってもまだ心の整理はついていませんが、無事にきょうを迎えられたことを感謝しています」と話していました。
新型ウイルスの影響も
新型コロナウイルスの感染拡大で、追悼式の縮小や中止が相次いだ中、宮城県名取市の寺では、住職と副住職、2人だけの法要が朝早く、しめやかに行われました。
名取市閖上地区の東禅寺は、東日本大震災の津波でおよそ200人の檀家が犠牲になり、寺の建物も全壊しました。
寺はおととし再建され、去年の3月11日もおよそ100人が集まって法要が行われました。
しかし、ことしは新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため大勢が集まるのを取りやめ、住職とその息子の副住職、2人だけで法要を行うことになりました。
午前6時から読経を行ったあと震災で亡くなった檀家の戒名を1人ずつ読み上げ、静かに犠牲者を悼んでいました。
東禅寺の三宅俊乗住職は「無念の死を遂げられた犠牲者の方を思い、戒名をお一人ずつ読み上げさせていただきました。ご遺族などの心の復興につながるよう、これからも祈りをささげていきたいです」と話していました。
「長いようで短い9年」岩手 高台訪れた男性
岩手県陸前高田市気仙町の高台を訪れた60代の男性は、「長いようで短い9年だった。今、街には建物が建って立派になったものの、若い人がいなくなってしまっている。10年をすぎれば震災のことは、忘れられてしまうかもしれないが、大きな被害があったからこそ忘れてはいけないのだと思う」と話していました。
福島 南相馬 犠牲の消防団員 仲間たちが追悼
震災による津波で9人の消防団員が犠牲になった福島県南相馬市では、消防団の仲間たちが海に向かって祈りをささげました。
南相馬市の消防団、鹿島区団第一分団では、11日午前6時ごろからおよそ15人が海岸に集まり、海に向かって黙とうをささげました。
この消防団では当時35歳だった門馬孝文さんが住民に避難を呼びかけているさなかに津波に襲われ、今も行方不明となっています。
当時、分団長をつとめていた伊佐見眞一さんは津波の15分ほど前まで門馬さんとともに避難誘導に当たっていました。
伊佐見さんは「門馬さんはみんなを楽しませるユーモアを持ちながらリーダーシップもある存在でした。そんな彼が命を落としてしまったことはいつまでもわれわれの心にあります。風化させないためにもみんなで鎮魂の祈りをささげ続けています」と話していました。
宮城 南三陸 震災復興祈念公園で祈り
震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町では町の中心部に整備が進められている復興祈念公園で祈りをささげる人の姿が見られました。
震災で800人以上が犠牲となった南三陸町では、祈りをささげて教訓を伝える「震災復興祈念公園」の整備が進められ、これまでに全体のおよそ70%が開園しています。
けさは高さ20メートルほどの「祈りの丘」の頂上から海に向かって祈りをささげたり職員など43人が犠牲になった旧防災対策庁舎に向かって手を合わせたりする人の姿が見られました。
神奈川県から訪れた59歳の男性は「毎年来ていますが、こうした公園ができて、落ち着いて祈ることができます。これからも震災を忘れないように祈り続けたいと思います」と話していました。