天皇皇后両陛下は、6
日午後、モンゴルの
首都ウランバートルに
到着されました。
両陛下を乗せた政府専用機は、羽田空港を出発して4時間半余りたった現地時間午後3時前にウランバートル近郊のチンギス・ハーン国際空港に到着しました。
搭载两陛下的政府专机于离开羽田机场四个半小时后,于当地时间下午3点前抵达了乌兰巴托近郊的成吉思汗国际机场。
天皇皇后のモンゴル訪問は初めてで、おふたりはタラップの下で現地の伝統的な歓迎を受け、銀の杯に入ったアーロールという乳製品の伝統菓子を口に含み、花束を受け取ったあと、出迎えた人たちとことばを交わされました。
天皇和皇后首次访问蒙古,两人在舷梯下受到了当地传统的欢迎,品尝了装在银杯中的传统乳制点心“阿罗尔”,并收下了花束,之后与迎接的人们进行了交谈。
到着の様子を現地の複数のテレビ局が生中継する中、両陛下は車で市内のホテルに向かわれました。
在多家当地电视台现场直播抵达情景的同时,两陛下乘车前往市内的酒店。
今回は国際親善のための公式訪問で、天皇陛下は、7日、モンゴルの歴史と文化を伝える国立博物館や、日本の支援で整備された上下水道供給施設を視察されます。
这次是为了国际友好进行的正式访问,天皇陛下将于7日参观介绍蒙古历史和文化的国家博物馆,以及在日本援助下建设的上下水道供给设施。
8日は、皇后さまとともに国賓として歓迎式典に臨んだあと、フレルスフ大統領夫妻と会見し、夜には宿泊先のホテルで歓迎の晩さん会に出席されます。
8日,天皇与皇后共同以国宾身份出席欢迎仪式后,将会见呼日勒苏赫总统夫妇,晚上将在下榻的酒店参加欢迎晚宴。
また、この日の午後には、敗戦後旧ソビエトによって抑留されてモンゴルに送られ過酷な労働などのため命を落とした日本人の慰霊碑を訪ね、犠牲者の霊を慰められます。
此外,当天下午还将参观在战败后被前苏联拘留并送往蒙古、因艰苦劳动等原因丧生的日本人的慰灵碑,以安慰牺牲者的英灵。
日程の終盤には、弓や競馬などの腕前を競う国民的なスポーツの祭典「ナーダム」の開会式に出席し競技を見るなど、モンゴルの歴史や文化にも触れられる予定です。
在日程的后半段,预计将出席蒙古国民体育盛典“那达慕”的开幕式,观看弓箭和赛马等技巧比赛,并接触到蒙古的历史和文化。
慰霊に立ち会う遺族は
両陛下の慰霊には、日本遺族会の会長や抑留中に命を落とした人の遺族も立ち会う予定です。
出席悼念仪式的遗属中,包括日本遗族会会长以及在被拘留期间去世者的遗属,也计划出席天皇夫妇的悼念仪式。
このうち、7日、日本をたって現地に向かう東京 狛江市の鈴木富佐江さん(88)は、終戦の3か月前に召集された父、荒井醇さんを亡くしました。
在这些人中,家住东京狛江市的铃木富佐江(88岁)将于7日离开日本前往当地。她在战争结束前三个月失去了被征召入伍的父亲荒井醇。
商社勤めで、家族とともに旧満州で暮らしていた父は、終戦後ソビエトによって抑留され消息不明に。
在贸易公司工作的父亲曾与家人一起生活在旧满洲,战后被苏联拘留,下落不明。
翌年日本に引き揚げてきた鈴木さん一家は、ラジオの尋ね人の番組を聴きながら来る日も来る日も父の帰りを待ち続けましたが、父はモンゴルで肺結核を患い昭和22年3月に亡くなりました。
第二年回到日本的铃木一家,一天又一天地一边听着广播的寻人节目,一边等待着父亲的归来,但父亲因在蒙古患上肺结核,于昭和22年3月去世了。
鈴木さんは、抑留から生きて戻った元兵士や遺族などでつくる「モンゴル会」に参加し、10回以上モンゴルに渡って現地で慰霊を続けてきました。
铃木先生参加了由从拘留中幸存归来的前士兵及遗属等组成的“蒙古会”,十余次前往蒙古,在当地持续进行慰灵活动。
両陛下の歓迎式典が行われるウランバートル中心部の政府庁舎前の広場を訪れた時には、抑留経験者から「ここは僕たちが作ったんだよ」と聞かされ、驚いたといいます。
当陛下在乌兰巴托市中心政府大楼前的广场参加欢迎仪式时,据说曾听一位被拘留的经历者说:“这个广场是我们建造的。”对此感到很惊讶。
鈴木さんは、「食料もない酷寒の地で過酷な生活を送りながら広場や建物を手作業の力仕事で作り上げるというのは、どんなに大変なことだったかと思いました。
铃木先生说:“在没有食物的严寒之地,一边过着艰苦的生活,一边靠手工体力劳动建造广场和建筑物,我想那一定是非常艰难的事情。”
一方で、
現地の
人から、『
食料もない
貧しい街に
突然1
万4000
人もの
日本の
兵隊が
来て
自分たちも
困ったが、
凍えている
兵士に
食料や
毛布、
布団を
届けた』という
話を
聞き、
父たち
抑留者が
作った
建物がいまも
残っていることは
平和への
強いメッセージだと
感じています。
另一方面,我听当地人说,“在这样一个连食物都没有的贫困小镇,突然来了1万4000名日本士兵,我们自己也很为难,但还是给那些冻得发抖的士兵送去了食物、毛毯和被褥。”我觉得,父亲他们这些被拘留者建造的建筑至今仍然留存,这本身就是对和平的强烈讯息。
両陛下にぜひそうした
建物を1つでも
多く
見てほしいです」と
話していました。
両陛下の訪問に合わせて再びモンゴルに渡ることを決めた鈴木さんは、高齢化のため解散した「モンゴル会」の仲間の思いを届けたいと、先月末、兵庫県に暮らす100歳の抑留経験者の男性に電話で連絡をとり、「抑留中に亡くなった皆さんも、両陛下の慰霊を喜ぶと思います。
铃木先生决定再次前往蒙古,以配合两陛下的访问。他希望传达因高龄而解散的“蒙古会”成员们的心愿,于是上月底,他打电话联系了居住在兵库县、现年100岁的被拘留经历者的男性,并表示:“在拘留期间去世的各位,相信也会为两陛下的慰灵感到高兴。”
慰霊碑まで
来て
下さって
ありがとうございますと
伝えてほしい」という
メッセージを
受け取りました。
收到了“请帮我转达感谢您特地来到慰灵碑前”的信息。
鈴木さんは、「抑留を経験した皆さんが健在なうちに両陛下の慰霊が実現していたらどんなによかったかと思いますが、遅くはないです。
我想,如果在经历了被拘留的各位还健在的时候,两陛下能够实现慰灵,那该有多好啊,不过现在也不算晚。
戦後モンゴルに
抑留され
過酷な
労働で
たくさんの
人が
命を
落としたことは、
埋もらせてはいけない
歴史の1つだと
思うので、
そのことに
光を
当ててくださることは
とてもありがたいです」と
話していました。
我认为,战后被拘留在蒙古并因艰苦劳动而失去许多生命的事情,是不能被埋没的历史之一,因此,能够让这段历史得到关注,我感到非常感激。