織田信長が
築いた
安土城の
城跡が
ある滋賀県近江八幡市の
湖岸で、
新たに
城下町のものとみられる
石垣が
発見されたことが、
市への
取材で
分かりました。
在织田信长建造的安土城遗址所在的滋贺县近江八幡市湖岸,新发现了被认为属于城下町的石墙,这一消息通过采访市政府得知。
湖岸で
城下町のものとみられる
本格的な
石垣が
見つかったのは、
初めてだということです。
安土城は織田信長が天下統一の拠点として築きましたが、西暦1582年の本能寺の変のあと焼失したため、全体像の分からない「幻の城」ともいわれています。
安土城是织田信长作为统一天下的据点而建造的,但在公元1582年的本能寺之变后被烧毁,因此被称为整体形象不明的“幻之城”。
近江八幡市は去年8月から10月にかけて、安土城の城跡から南西におよそ1キロ離れた場所にある「西の湖」の湖岸で、宅地開発のための発掘調査を行いました。
<br><br>从去年8月到10月,近江八幡市在距离安土城遗址西南约1公里的“西之湖”湖岸进行了住宅开发的发掘调查。
市によりますと、調査前の時点で湖岸から50メートルほど離れた畑に石が並ぶように埋まっていましたが、深く掘り進めたところ、幅およそ17メートル、高さおよそ1。
根据市政府的说法,调查前,湖岸约50米处的田地里埋着排列成行的石块,但在深入挖掘后,发现其宽约17米,高约1。
6メートルの
石垣が
見つかりました。
石垣は4段ほど積み上げられていて、下の2段は、大きな石を整列させたような積み方をしていることや、「湖東流紋岩(ことうりゅうもんがん)」と呼ばれる付近から採れる石が多く使われていることなどから安土城の城下町のものとみられるということです。
石墙堆叠了大约四层,下面两层是将大石排列整齐的堆砌方式,并且使用了很多从附近采集的被称为“湖东流纹岩”的石头,因此被认为是安土城的城下町的遗迹。
市によりますと、湖岸で城下町のものとみられる本格的な石垣が見つかったのは、今回が初めてだということです。
根据市政府的说法,这是首次在湖岸发现被认为属于城下町的真正石垣。
近江八幡市の担当者は「城だけでなく、城下町にもしっかりとした石垣が使われていた可能性がある。
有可能不仅在城堡,而且在城下町也使用了坚固的石垣。
当時の
様子を
知るうえで
貴重な
資料だ」としています。
専門家「今回の発見は非常に重要」
日本の城郭の歴史に詳しい滋賀県立大学の中井均名誉教授は「安土城は城本体だけでなく、城下町についても実態がよく分かっておらず、今回の発見は非常に重要だ。
专家:“此次发现非常重要”<br>对日本城郭历史有深入研究的滋贺县立大学名誉教授中井均表示:“安土城不仅城体本身,连城下町的实际情况也不甚了解,此次的发现非常重要。”
見つかった
石垣は
安土城から
離れているものの、
城と
類似する
石垣になっていることや、
非常に
立派な
石材を
使っていることから、
極めて安土城と
関わりの
深い石垣だと
考えていいと
思う」と
述べました。
找到的石墙虽然距离安土城较远,但由于其与城墙相似并使用了非常精美的石材,因此可以认为是与安土城关系极为密切的石墙。
そのうえで、湖岸に石垣が築かれた理由については、「敵からの防御の役割もあったかもしれないが、護岸としての役割の可能性もあり、湖で運んできた物資を城下町に仕分けるような、船が着岸する場所があったことも考えられる」という見方を示しました。
此外,关于湖岸修筑石墙的原因,他表示:“可能有防御敌人的作用,但也有可能起到护岸的作用,并且也不排除有船只停靠的地方,用于将湖中运来的物资分配到城下町。”