このうち量産1号機は、平成10年の引退後、国立科学博物館が引き取って羽田空港の格納庫で保管してきましたが、現状での管理が難しくなり、茨城県筑西市にある民間施設に移されることになりました。
国立科学博物館によりますと、陸路で運び込むためにいったん機体を解体する必要があり、これまで動かせる状態で整備を続けてきたエンジンやプロペラは、移転後は作動しなくなります。
29日、最後となる機体の動作確認が行われ、電源が入ってプロペラなどが動き始めると、集まった関係者たちは貴重な瞬間を逃さないように写真を撮るなどして惜しんでいました。
国立科学博物館は、来年の春に搬送を行ったあと機体を再び組み立て、来年秋の展示・公開を目指すとしています。
国立科学博物館産業技術史資料情報センターの鈴木一義センター長は「日本が科学立国として歩んできた道は、このような遺産を通して初めて知ることができます。動かなくなることは残念ですが、この機体の価値を知ってもらうためにも、広く公開できることは意味があると考えています」と話しています。
「機械遺産」に選ばれるも一般公開限られる
「YSー11型機」は、日本の定期路線だけでなく海外の航空会社でも活躍し、昭和39年の東京オリンピックで聖火を運んだことでも知られています。
量産1号機は昭和40年に当時の運輸省航空局に引き渡され、空港の無線の状況などをチェックする飛行検査機として、平成10年に引退するまで2万時間を超えるフライトを行ってきました。
その後は、日本の科学技術史を語るうえで将来に継承すべき財産として国立科学博物館が引き取り、羽田空港にある格納庫を借り受けて、年に4回定期点検を行うなど維持管理を続けてきました。
平成19年には、歴史に残る機械を後世に伝えようと日本機械学会が設けた第1回目の「機械遺産」に、東海道新幹線の「0系」などとともに選ばれています。
平成22年には政府の事業仕分けで保存や公開の在り方を検討するよう指摘されましたが、空港内に置かれてきたこともあり、一般公開の機会は限られていました。
移転後に組み立て公開へ
国立科学博物館によりますと、機体はことし10月ごろから解体が進められ、主翼や尾翼、プロペラが取り外されます。
元どおりに組み立てることを前提とした解体は「YSー11型機」では初めてで、機体の構造などを把握しながら慎重に作業を行っていく必要があるため、困難が予想されるということです。
作業は来年の春ごろには終わる予定で、解体した機体をトレーラーに乗せて茨城県筑西市の民間施設「ザ・ヒロサワ・シティ」に輸送する計画です。
その後、機体を組み立てますが、電気配線などは復元させないことから、これまでのようにエンジンは作動しなくなります。
現地には展示施設が新たに設けられるということです。
「ザ・ヒロサワ・シティ」は引退した鉄道車両などの保存・公開を進めていて、「YSー11型機」の受け入れについて「貴重な遺産を未来に伝えていくことができる、とても意味のあることだと考えています。全国の皆さんに見ていただけるようにしていきたい」としています。